得意。



最近、頭の中はもっぱら「読み手を意識する文章」の事で頭がいっぱいだ。


今までに使ったことの無い身体の回路を使ってる感覚が強くて自分本意に書いていた時に比べて何倍も疲れるし文量が増えていかずで中々削られている。


それでも本当に文は変化してるのか?読み手の意識は出来てるのかは分からないものだ。


しかし最近、読みやすくなったと言われることがあった。読み手の意識が正しく効力を発揮してそうなってるのかは分からないけど何か文にも変化があるようでその意見はとても嬉しかった。


読み手意識をすると慣れてないせいもあって、何度も手が止まる。消したり、再度言い回しを考えたりと、書いてる途中で吟味が増えた。


自分本意だと基本的にはスラスラと指が動くし書いている途中で吟味することは殆んど無い。書き終わって読み返した時には手直しはするけどそれ以外はスタートからゴールまでノンストップで走りきるイメージ。


しかし書き終わって読み手意識を混ぜこんだ文を読み返してみると非常に滑らか(当社比)で少し丸い。道中の手直しや吟味が多く、スムーズじゃない過程のぎこちなさはあるのにそれが終わってみたらあまりその硬さは文には反映されていない。


自分本意はスタートからゴールまで走り抜ける、道中の滞り無さはあるけれど読み返すと重く、尖りがあり、なんならこちらの方が硬さがある。その硬さを俯瞰して見ることが今まで出来なくて、書く文章は「そう言うもの」でしかなかった。


得意な事は得意な事で。でも得意な形に持っていこうとするのが自分本意を招いているのかもしれない。だけど得意な事ってノリノリで出来るし気持ちも乗りやすい上に楽だから選びやすい。基本的にデメリットが無いようにも思える。それでも確実に自分以外が見えにくくなるのは感じる。


ここから少し話が逸れるのだけど。この間、美容師さんに髪を切ってもらった時にお話しした内容を思い出した。


その美容師さんに切ってもらうのは2回目で正直、初回の時に「微妙だな~」って思ってた。こちらの拘りが強いのも勿論あるけどあまり相性良くないなと思ってたけど人としては良い人だったから2回目もお願いした。


2回目は何か今までどの美容師さんにもしてもらったこと無いような感じになってそれが妙にフィットした。


何故そうなったのかは分からなかったけど別の部分で答えが出た所もあった。


その人はめちゃくちゃ自分で自分を律してる感じがあった。それは美容師と言う仕事に対して。それは初回から感じていた。初回で微妙だなと感じたのは多分、初回と言うことで情報集めも込みで当たり障りの無い感じでカットをしてくれたのだと思う。こちらの事も良く分からないから。


でも2回目と言うある意味のリピートによって少し我が出てきたのだと思う。この我は良い意味で使ってる。


その美容師さんは本人なりにやりたい形やスタイルやイメージがめちゃくちゃあるタイプ。でも仕事だからそれは区別して仕事に徹してお客さんの要望に沿ってお金をいただくその事に対して責任を取れるかどうかで仕事を遂行していた。


その美容師さんも実際言っていた「美容師はアートじゃない」って。


だから何度も通ってくれてる常連さんとかに「お任せで」と言われることが嬉しいと話していた。仕事に対する価値観が信頼としてお客さんに伝わり、委ねてもらうことに喜びを感じていた。


そう言う人にこそ、周りは我を出して欲しいと信頼から思うのだと知った気がする。


律しても漏れでるぐらいの強い物を持ってるのならそれを見てみたい!って強く思うのだと思う。


髪を切る店をそれなりに転々としてきたせいなのか分かる。「あーこの人、自分が切りたいように切ってるな。この形が、手法が得意なんだろうな」とか「あっ…今誤魔化したな。そこの部分をどうすべきか分からなくて有耶無耶にしたな」とか。この時に共通してるのは終わった時には美容師さんは満足そうにしてること。こちらやお客さんがそれに比例した気持ちや表情になってるかは別の話。


得意って楽だから段取りも組みやすい。ミスにも対応しやすい。得意だから微妙な流れからも得意に持っていく方法が熟知されている。業務として、こなすことを考えたら効率が良いし本人も楽。でもどこかに無視された何かがそこにはあるのも事実である。


だから先程の美容師さんは楽じゃない方法で仕事をしてる。しかもそれこそ強い物を持ってるのにそれを律しながら。その姿勢は当たり前に信頼を生むよなって素直に感じた。その姿勢って相手の事を考えてるってことだ。そう言う人に任せてみたいというのは至極全うな気がしている。


得意って扱いがとても難しいのかもしれない。そして得意は自分以外との繋がりが薄くなるのかな?とも思った。


自分本意に文を書いている、書いていた。きっとその事はありとあらゆる場所で自分本意な部分出ていてそれは他にも繋がり、人生を作ってるような気がした。文章だけじゃない。それは全てに波及し繋がっている。


得意は大切に。だけど得意に固執しない。


それが難しいんだけどね。



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