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そうでありたい自分。

令和4年2月22日ゼロ円ハウス148日目。

外がしっかり明るくなってから起きる。相変わらず寒い。布団から出て、ご飯を作って食べる。

午前中は久しぶりにユキさんと話した。なんか姿は見ていたがとても久しぶりに会ったような感覚になった。少しずつ自分の中の薄まっていた繋がりが濃さを取り戻していく気がした。そしてその後は買い物に行ったりして過ごした。午後からはこうた君と神社に行ってからジェラートでも食べに行くか!みたいな予定になっている。こうた君から神社に行くことを聞いたらしいく急遽、NHKのKさんも来られることになった。恐らく自分達が戦うと思っている。そんなテンションだった。自分もこうた君ももっと軽い感じで神社行くという心持ちだったのだがまぁ確かに動きたい気持ちもあったので結果的にはなんの問題も無い。しかし昨日の影響で膝がとにかく痛い。普通に歩けない。しかし痛い中でどう動くか?動けるか?試してみたい気持ちが強かった。

買い物から帰ってきたらお昼を余裕で過ぎていた。ちょっと急いで戻ったら丁度後ろからKさんが来ていて良いタイミングだった。

でも広島市内から良く来るな~って思っていた。恐らく2時間ほどかかるハズなのに、やってる自分達は楽しかったり良い時間だからともかく、そのやり取りを見に来るために遠くから来るって破天荒だなって思っていた笑

自分を含めて3人で神社に向かう。風も吹いていて中々風情が出ていた。

とりあえず着いたので早速始める。Kさん、もうカメラ構えてる笑

前と同じ展開。自分が圧をかけていく。しかし今日は気持ちが少しばかり走っていたように思う。確かに圧はかけていたしかかっていたと思う。しかし自分から手を出して攻撃したくなってしまった。仕掛けようとした所に上段突きをモロにくらった。初回から激しく墓穴を掘った。あー...やらかした。これですよ。こうやって欲が出ると必ずやられるんですよ。こうた君はそこを待ってるんですよ。自分が崩れる瞬間を。多分、こうた君の目から見て自分はあまり崩れてるように見える瞬間は少ないと思う。それは圧がそれなりにかかっているからこうた君の動きも硬くなり、こちらとしても脅威に感じにくくなる余裕から来るものだと思うが自分が欲を出した瞬間にその圧が切れてこうた君との関係性が解消されてしまう。そうしたらこうた君はここだ!強く出てくる。その振り幅が大きいために自分が崩れた、自滅した瞬間がとても分かりやすいのだと思う。

自分はこの欲とどう関わっていくか?それが戦いの結果を大きく左右する。どうしても体の言うことを聞かず、自分のやりたいことを優先して叩きのめされてしまう。しかしこれで良いのかもしれない。やっぱり、欲を越えていくには欲を出さないといけない気がする。それは欲を出したらどうなるか?と言う体感が欲を越えていく重要な鍵になり得るからだ。頭も体も体感から欲を出すことを諦めてくれれば自然と自分がおこなう事や選択は変わっていく。変えていくのではなくて変わっていく。変えるのは人為的で我慢と抑制が付きまとう。変わっていくのは自然な現象の1つ。本当は分かっているのだ。だけど分かっていることを分かるためには知らない自分になってみる他無い。ゴールがあるとするならば恐らくはスタートに到達する。シンプルを知るためには色々抱えてみたり持ってみないと分からない。スタートのシンプルで純粋な何かの中身を知るために歩んでいるのかもしれない。

そして今回は前回のやり取りを自分が踏まえすぎた。またやってしまった。過去を持ち出した。何度でも繰り返すこの失敗。今回は今回でまたやり取りの中で感じて蓄積して収集しなければならない。こうた君も自分もあの時とは別人だ。後にも先にもあの時の自分とこうた君はあの時しかいない。自分が戦う中での重要なファクターは欲と過去、今から新しく感じて蓄積して収集する事。これに尽きる。過去のある意味の成功体験はその瞬間以降はなんの役にも立たない。それは自分が自分としてる何かが勝手に1つの出来事に意味と概念と価値をつけただけで大きな枠で見たら1つの出来事。これ以上の意味を持たない。だから逆に失敗をしても同じである。それは失敗とした自分が居るわけでそれも出来事に過ぎない。だけどそんな概念と価値をつけるからこそ、逆にそれはただの出来事であると分かるのだと思う。だから無理にただの出来事だと思う必要もない。成功だ!失敗だ!色々と出来事に思って良いし意味も何もつけて良い。自分にとって大事なのは近道でも効率の良い進み方でもない。並んだ選択肢と自分が可能性に感じている事を全てやってみて調べて全てを潰して本当にちゃんと諦めて次に向かう。人生に無駄なことなんて無い。それは振り返ったらそうかもしれないしそう思うかもしれないしそう思いたいかもしれない。だけどそれをそう思えない時にそう思おうとする事は違う気がするけどそう思えない時にそう思ってみるのも良いのかもしれない。それをやってみて分かる訳だ。違うわ、コレ。って気が付くのか?意外と良いなと思うのかは分からないけどやった先には必ず何かの気が付きが待っていると思う。自分のやり方をとにかくやりたいと思う時期やタイミングはある。自分も今はその時期の後半に居る気がする。人からとやかく言われて、無駄だとか、こうした方が良いとか言われても他に可能性を感じたり何故無駄なのか?こうした方が良いのか?それがとにかく知りたいと思う時はある。それをやる方が長い目で見たら無駄ではない。そして可能性を選択肢を潰しきると、人を見守っていられる気がする。何をしていても、それがしたいんだよね。したら良い。そう思える。やりきると何かが見えてきてどちらせによ納得が待っていることを知っていて分かるからだ。それが自身の存在の何よりの糧になることを分かっているから。

2時間ほど休み休みこうた君と動いた。Kさんはその間、ずっとカメラを回していた。どんでもない集中力だなと思う。今回は結構お互いに被弾が多かった。自分も蹴ったりしたしテコンドーっぽく動いてみたりした。

こうた君は一貫してスタイルを変えない。1つを突き通している。自分も不器用だからそっちの傾向が強いかなと思っていたがやり方を変えてみたくなったり、こうた君を出させる、攻めたいなと思わせる為に色々工夫したくなる感じから考えるとそんなに不器用でもなくて色々とやりたいと思ってるのかもしれない。不器用だからとか、1つを突き詰めたいとか、これもある種の欲なのかもしれない。そうなんじゃなくて、それはそうでありたい自分なのかもしれない。

自分は戦うことって嘘がつけないし、偽りが通用しないと思ってる。例えばいくら自分は強いと虚勢を普段から張り続けても戦えば1発で結果が出る。自分の思い通りにしたいなんて思えば相手は見えなくなり、自分が見ていると思っている相手の姿は自分が都合良く考えて作り出した他人に早変わりして、本物はその人の見てる世界からは消えてしまう。その人の見てる世界には、そうであって欲しいという勝手な理想の元に成り立った形で写っているだろう。

相手はこっちから攻撃してくるだろう。そうした都合の良い勝手な理想が現実と言う形で完膚なきまでにそれを叩き壊してくる。

こうた君が、普段の生活や言葉だと間違っていたり偽りがあっても強引に事が運ぶことがある。出来事として見たら上手くいってしまう事がある。と言っていて、まさにそうだなと思った。

事が運んでしまうから勝手に自身の中で自身は正しいと思えてしまうしそう思いたい自身はさらに増幅してしまう。

これを打ち砕いてくれる1つの物が戦いだと自分は思う。自分が間違っているといつも思わせてくれる。その機会があると言うのは人として考えたらとても大事な事だと思う。

Kさんも巻き込んで体の動かし方や意識や感覚の話を沢山した。Kさんはあるきっかけでプロレスが好きになったようだ。応援している特定の選手もいるっぽい。戦いは好きなようだ。意外と自身でやってみたら開花するかもしれない。好戦的な1面が拓かれるかもしれない。

3人で神社を後にしてKさんはユキさんの取材。自分とこうた君はジェラートを食べにお店へ。

自分はどこか良い人でいたいと言う所がある気がする。聖人気取りする所がある。それが自分の感覚を認めることを邪魔する。良い人でありたいがためにそれに対して不都合な感覚が出した結論をどうにか都合の良いものにしたい。そこから自分がおかしいのではないか?と色々な証拠探しが始まる。しかし、最初に出た事が全て。そこから自分がどうするかを決めなければならないところをその最初を受け入れることが出来ずに事態は段々と拗れていく。自分でもおかしいと思うほどに些細な事で自分に火がつくようになる。でもこう言う時って恐らく、感覚が出した結論を受け入れず認めてない時な気がしている。これはある意味、自分が自分に対しての怒りだと思う。自身の問題とはこう言う事を言うのかもしれない。出た結論が頭で考える自分の理想に反していて不都合だからそれを変えようとする。しかし自分以外は中々変えられない事実がそこにある。そうすると不都合な事が起こる、不都合な自身になってしまう、不都合な選択を迫られる。それを避けるために必死に動くものの何も変わるわけもない。そのうち、自身以外の何かを否定することで自身を保とうとする。自身のやっていることは正しということにするように振る舞いは走り出す。こうやって積み上がり重ねられた物が自身の理解から遠ざける。不都合な自分になってから。まずはそこからだな思う。

そうでありたい自分と実際の自分。こう言う狭間は良く感じる。自分はアニメや漫画で惹かれるキャラ、憧れるキャラの傾向が2つある。圧倒的な素質と才能と能力で他を寄せ付けない上にその圧倒的なポテンシャルによって全てが許されているキャラ。それと、普段は特段、やる気があるわけでも強さを感じるわけでも無いのだがやる時になったらとんでもないポテンシャルを見せるキャラ。この2つだ。前にここから自分が何を求めているのか?それを考えてみたことがあった。恐らくは自分が持っていない物を持っているキャラに目が向いている。どちらも圧倒的なポテンシャルがあるキャラ設定。恐らくは特別な何かが自分は欲しいのだろう。唯一無二でコレだ!と言う物、これは誰にも比較されず自分の個性だと思えるもの。そして褒められたい。そう言った物もあるかもしれない。どちらのパターンにせよ、人の目を奪う存在。そしてそれは特別な何かを感じさせる。それ故にそうなれば褒めてもらえる。そう言う短絡的な考えがあるかもしれない。

そんな話をこうた君とした。

ゼロ円ハウスに戻り、自分は原付きに乗ってスーパーの休憩スペースで日記を書いた。ふとした時に1日の疲れを感じた笑 閉店ギリギリまで日記を書き続けてゼロ円ハウスに戻る。

戻ってきてから、明日のバイトのお弁当の準備をしようと思い、台所に行ったらさきちゃんが居た。午前中のユキさん同様、姿は見ていたが久しぶりに会ったような感覚で話した。

姿は見るもののお互いに関わりづらさを感じていたり、関わるべき状況と状態では無いとと感じていたり、探りあっていたのだと思う。しかし関わりづらさを感じていることを相手は感じているんだろうなと言うことを感じていたし、関わるべき状況と状態では無いと感じていることを相手は感じているんだろうなと言うことを感じていた。お互いに。もうそうなるとぐちゃぐちゃである。そうであることを感じていることを相手が感じていることを感じていたことを相手が感じていることを...エンドレスである。

いつも同じなんて不自然。いつも違う事がそもそも自然でどんな自分でもそれは自分。いつも違う関わりが起きる。関わりが無いこともすれ違うこともどんなことが起きてもどんな自分がお互いに出てもそれ全てが関わると言う1つの大枠の一部。だからどうなろうともそれがその時の関わりの形。だから自分はどんな自分も好きだとさきちゃんは言っていた。(正確には違うがこんなニュアンスだった気がする)

自分はそれはとても良いなと思った。自分はどちらかと言うと上手く関われてないな、今日はいつもと違うなと自分にも他人にも思う。疲れてんのかな?とか調子悪いのかな?とか思う方が多い。しかしそれは自分が相手にこうあって欲しい、自分が自分に対してこうあって欲しいと言う物だとも言える。そしてそうでなくては不安な自分もどこかにいるのかもしれない。だけどさきちゃんの考えを採用したらどんな時もそれは関わりであり、その日、その時の関わりを構築している事になる。既存の関わりの形を頼らないので変な考えになったり不安になったりすることも格段に減る気がする。あー今回はそう言う関わり方ね。みたいになると思う。上手く関われてないなとか思わなくなりそう。だって全てが関わりなのだから。

さきちゃんは絵の話も絡めてしていたしどうやら絵からこの考えにたどり着いたようだった。

さきちゃんにとって描いた絵はどんな描き方をしようが、何を描こうが、どんな道具を使おうが、それは絵を越えて等しく優劣が無い何かだ。しかしそれを見る外野は途端に絵として見てくる。そこに自身の好みまで添えて。それは当たり前なのかもしれないがそこには絵からさきちゃんを感じたり見ている観点は限り無く薄い物だろう。そもそも絵として見ている時点で感じれるわけが無いのだが。絵と言う物に自身の価値観をぶつけて価値を投影した物を見ている。そんなところだろうか。だがまれにそこを越えてくる存在がいる。ちゃんとさきちゃんにたどり着く人がいる。そこにさきちゃんの人間を見る1つの大きな基準があるように感じた。

そんな話をしつつ自分もお弁当を作り終えたので寝る準備をして布団に入ってアラームをかけて眠りについた。

そうでありたい自分と実際の自分。自分が不都合だと感じる自分とそうでないと思いたい自分。物事に色々な理想を抱えている自分。色々な自分が色々な事を引き起こして来たんだなと感じた1日だった。

ゼロ円ハウス148日目終了。

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