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【僧侶がぐっときた言葉】山手線/NORIKIYO

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自分と重ねてどこか切なくなる曲

今回ご紹介するのは2018年のクリスマスイブにMVが公開されたNORIKIYO氏の「山手線」。

私がNORIKIYO氏を知ったのがZEEBRA氏とのBeef騒動だった為か、氏にはどこかHUNTER×HUNTERのヒソカのようなイメージがありました。

群れず、退かず、インファイトもできるが頭脳派でもある、そんなチート感がある意味不気味でした。

そんなNORIKIYO氏へのイメージがガラッと変わったのがこの「山手線」。

山手線沿線の駅名を巧みに盛り込みつつ、無常の人生の中で感じる言葉にならない切なさ、虚しさを歌うリリックに、当時27歳の私は様々な思い出や気持ちがこみ上げてきました。

執着駅はどこ?

この曲のフック、いわゆるサビ「執着駅はどこ?今日もグルグル周る」という一節は基本的に終点なく周り続ける山手線と、自身のやり場のない過去や現状への思いが重なり、冬の寒さが染み込むような切なさを感じさせます。

そんなフックと相まって、2バース目、曲の2番のリリックが、今回のグッときた言葉です。

目の前にあるのは、あの日思い描いたものとは全く異なる風景、そして己の現状。

過去へすがることに意味がないとわかっていても、「もしかしたら」を信じたくなるような、「何かが違う今」を感じるのは決して珍しいことではないでしょう。

人は選択を迫られる時、正しいか誤ちかよりも、その時どうしたいかの方を優先しやすいような気がします。

自分で選んだのだから後悔はない。

しかし、それが巡り巡って思わぬ結果を招くことだってあります。

そうして訪れた、自分が思い描いたものとは異なる現実を目の前ににした人ができることは、あの時自分の気持ちにしたがって選択したことに悔いはないと、自分に言い聞かせることだけです。

そんな複雑で、どこか悲壮感する漂わせるこのリリックに、私はむしろ力強さを感じました。

忘れたい過去、やり直したい出来事があることは決して悪いことではありません。

しかし、その過去を背負って前へ進むか、その過去しか見えなくなってしまうかが人間の生き方を大きく変えます

お釈迦様が生きていた頃、アングリマーラという青年がとある指導者の元で修行をしていました。

しかし、アングリマーラその指導者に「100人殺せばお前の修行は完成だ」と騙され、次々に人を殺し、100人目にお釈迦様と出会うのです。

そこでお釈迦様にそれが過ちであることに気づかされたアングリマーラは、大きく嘆き、苦しみますが、お釈迦様の元で出家をし、ついには悟りを開いたと言われます。

真面目な生き方を探っていた中で騙され、最も反対の道に進んでいたと気づいたアングリマーラの悲しみや苦悩は計り知れません。

しかし、全てを背負って正しく歩んだことで、彼は自分自身を救ったのです。

人生にはいくつもの選択肢でできています。

その中で少なからず不正解ルートへ進んでしまうこともあるでしょう。

しかし、それが仮に不正解だったとしても、次の選択で未来は開けるかもしれません。

「あの時ああしていれば…」そんな言葉を飲み込んで山手線に揺られる男性の生き様が描かれたこの曲に私はグッときました。

動画版

MV

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