スクリーンショット_2020-03-02_22_Fotor-min

【僧侶がグッときた言葉】Cheep Sunday feat.唾奇/hokuto

※有料ですが全文お読みいただけます。ご興味を持っていただけた方はサポートしていただけると幸いです。

同い年のラッパー、唾奇の言葉

世間に溢れる言葉の中から僧侶の私が「グッ」ときたものをご紹介する【僧侶がグッときた言葉】。

今回はご紹介したいのはこちらの言葉。

沖縄のラッパー、唾奇(つばき)氏のリリックです。

大人気の彼は、なんと私と同い年の1991年生まれ
ラッパーでいうとフリースタイルダンジョンのラスボスR-指定氏も同い年です。

今回はこの言葉から、仕事との向き合い方について考えさせられました。


変わってきた仕事の意味

現代の日本は、歴史の上からみても仕事の意味がかなり特殊になっています。
江戸時代頃まで、仕事というのはそのまま身分と直結し、選択する余地はほとんどありませんでした。

しかし、現代では仕事は選ぶどころか自分で作り出せる時代で、本当に多種多様の仕事があります。
現在でも、ネパールなどのカースト制度がある国では、そのカーストのランクによって就ける仕事が限定されてしまうので、自由であること自体は良いことだと思います。

ところが、現代の日本では仕事が「お金を稼ぐこと」と同義になりつつあるような気がします。

そしてさらに、楽でたくさん稼げる仕事が良い仕事で、苦労してあまり稼げない仕事は悪い仕事という暗黙の共通認識も広がっているように思うのは私だけでしょうか?

そうなってくると、「どんな仕事に就くか」は「どうやって稼ぐか」という意味になってきてしまいます。

スクリーンショット 2020-03-02 22.14.36-min


食えても無いのにジョブって言うんだよ

さて、そこで今回の唾奇氏の言葉に戻ってみましょう。

食えても無いのにジョブって言うんだよ

おそらくラッパーとして日の目を見る前、甲斐性が無いと言われた頃の心境でしょう。

仕事は「飯を食べていく」という表現があります。

当然ご飯を食べるにはお金が必要なので、「食べていく」という言葉には「お金を稼ぐ」という意味も含まれるでしょう。

しかし、もっとご飯にはもっと深い意味があります。

例えば、これからの季節に行われる歓送迎会。

別れや出会いの場では、多くの場合でその人と食事を共にします。

おもてなしの場だってそうです。

他にも「同じ釜の飯を食う」という言葉もあるように、人が食事を共にするということには、古くから共に生きるという意味が込められていました。

そう考えた時、「飯を食べていく」ということには「お金を稼ぐ」という意味よりももっと根源的な「生きていく」という意味があるのではないでしょうか。

つまり、仕事を選ぶというのは生き方を選ぶということなのです。

スクリーンショット 2020-03-02 22.14.55-min

仕事=生き方

私は、「食えても無いのにジョブって言うんだよ」という言葉は「今はまだ生活を支えることはできていないけれど、ラッパーという生き方を選んだんだ」という思いを表現しているのだと捉えています。

確かに、お金は大事です。

なければ生活ができません。

しかしその前に、仕事とは生き方であり、生き方とは「命の使い道」だと私は思っています。

どんな形で働こうが、どれだけの金額を動かそうが、関係ありません。

そして、他人の仕事を見て笑う人は、そうしなければ自分を保てない弱い人です。

そんな人は気にする必要はありません。

自分で決めた命の使い道なら、堂々と「これが私の仕事です!」と言っていいんです。

同い年の、ラッパーという生き方を見つけた唾奇氏の言葉にそんなことを思いました。

動画版

MV

--------------------------------------------------------
メインの活動である「禅活-zenkatsu-」の方もよろしくお願いいたします!

WEBメディア
https://zenkatsu.site/
Twitter
https://twitter.com/zenkatsu_zen
Instaglam
https://www.instagram.com/zenkatsu_zen/
Facebook
https://www.facebook.com/Zenkatsu.lifestyle/
Youtube
https://www.youtube.com/channel/UC_mjxkkS5AWqq-JYJttlmtw


ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?