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#095|自由に「オフ」にできる生活は運用が難しい

note365日連続投稿チャレンジ95日目。今日からこのnoteに関連するSNS名をTOSHINORIからtoshに変更した。呼ばれ方にこだわりはないので、これまで通りでも、あたらしい表記でも大丈夫です。表記というと、みなさん律儀にローマ字でTOSHINORIと打ってくださいますが、ひらがなとかカタカナでも全然OKです。いつもありがとうございあす。

自由に「オフ」にできる生活は運用が難しい

昨夜は24時すぎに布団に入ったが眠れなくて、眠れないので朝4時には起きたものの、頭はぼーっとしたまま9時半頃までダラダラすごし、それからガッツリ夕方まで寝た。今日は人との予定が何もない日だったため、こういう動きができる。

こういう動きができてしまうことを、「自由」と呼び謳歌していいのか、「怠惰」と捉えて改善すべきなのか、迷う。

「誰にも不都合がないならいいじゃん」が答えなのだけど、とはいえ作業はたまっており、本来ならタスクをこなしていきたい気持ちだ。なのでこういう日には、若干自分を責める気持ちが出てきていや〜な気分になる。

ご家庭があり、勤務先がある方であれば、こんな動き方をすることは一生ないのだろうと思うと、なんだか自分はダメな人間なのではないかといった気持ちに。

本当は一切そんなことを思わなくていいハズなのだけど、これは小学生の頃に「日中に人と違う行動をするのはダメだ」「ズル休みをしたらいけない」といった声が脳髄に叩き込まれた後遺症なのだろうか。いつまでも自分の判断や感覚に影響してくる、このような懲罰的なタイプの価値観は本当に鬱陶しい。


「サイクル」よりも「状態」を重視して生きる方がいいと思っている私は、こうして自由にオフにできる生活はいいものだと思っているが、コントロールがシビアである点=簡単に「サボれて」しまう点をどうするかは徹底的に作りこまないといけない。

このような、なんというか、ある意味「大学生」のような生活スタイルは、「自分に甘い」場合にはどこまでもサボり倒せるため、そのバランスをどのように作り込むかはとても重要だ。

「勤務先がないのによく自制できるね」と言われることは昔からちょくちょくあるが、やはり人間のタイプによっては、どこかに勤めたり、自分の店や会社など「出社」できる環境を用意することが「自己コントロール」のための有効な手段になる人はいる。そして「リモート」社会になって思ったけれど、そういう人の方が圧倒的に多いらしい。

「稼いでリタイアすると寿命が早まる」という話もあるように、人間にとって「自由な生活」なんてのは扱いにくいもので、「適度に制限がある」状態がもっとも生きやすく、本来的に快適なのだと思う。

こういうところを一人事業をしている方々はどのように考え、運営しているのか。色々な人の意見を聞いてみたい。


私の場合は、ここを支えているのは「タスクシュート」と「1日のふりかえり」だ。思えば、どちらも自分に「ちょっとした負荷」をかけているものだ。

タスクシュートに24時間の行動を記録していることで、どのように生活したとしても「本当に崩壊する」ことはない。(自分が何をやっていて生活がどのような状態になっているのかがまったくわからなくなる、ということはない)

1日の最後にふりかえりの時間を設けることで、「どのような1日からでも明日に活かせるナニカを見出し、具体的なタスクにして繋ぐ」ことができるので、完全にマイナスのスパイラルが続くということはない。

この2つにより、たとえバランスが崩れる数日間を過ごしたとしても、わりとすみやかに復帰できる。


できれば「バランスが崩れる日」そのものを人生からなくしたいのだが、これはまだ達成できてない。

対策としては「バランスが崩れた日だ」と認識してしまう考えの方をクリアしていくことと、そう認識するにいたる条件の方を起こらないようにしてしまう、両面での対応を進めたい。

そう認識してしまうのは、「いつも『タスクがたまっている』状態が常態化している」生活スタイルによりそうで、それをクリアすれば仮に「昼間に1日中寝て」いても問題を感じなくなれるのかなと思う。ここは細かく見て、スッキリさせていきたいところ。いまさらながら課題リストに加える。


✑50分|1700文字

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