#262C|「苦しいから助けてもらえる」というマインドセットを捨てる

note365日連続投稿チャレンジ262日目。

早朝から奈良で夕方から京都の日。仕事関係の方と白熱した時間を過ごしていて気がついたら、私が主催している「1日をふりかえる会」の時間が終わっていた。運営メンバーに休みの連絡などしていない。

こんなことは会を始めて以来630日間の中でも初めてで、なんだか「無断欠勤」したような、悪いことをしたような気持ちになった。

しかしこの気持ちは「ちゃんとしなきゃ」病だ。連絡はもちろんした方がいいが、この気持ちの縛りはもっと緩めたい。


いや。そもそも「連絡はもちろんした方がいい」のだろうか?そう思っていることが一つの思い込みな気がするが、やっぱりそこは主催者なのだから、その日運営の進行をしてくれているメンバーには欠席の連絡をしておくべきな気もする。

いやそうか?逆に私は自分が進行を務める日に休むメンバーには連絡をしてほしいか?というとまったく不要だ。

では問題はなんだろう?「明言したわけではないが『私が休む時は連絡する』ことにしているのにしなかった」ことが問題ではないだろうか。

では、自分の中で勝手に作った暗黙のルールなんだから、勝手に撤廃すればいいのでは?べつに、自分が進行を担当しない日なら欠席の連絡をしなくても問題が起こるわけでもない。


じゃあ「連絡しないことにする」と考えると、なんだか「悪い」気持ちになる。それは「今日は◯◯のため、残念ながら会に行けません、ごめんなさい」と言わないといけないのではないか、という気持ちだ。

「主催者のくせに他の仕事があるわけでもないのにサボってはいけない」といった、心の声が奥の方で小さく聞こえる。

その心をさらに深掘ってみると、どうやら私は「自分が苦しんでいるから人に助けてもらえる」「苦しんでいないと人に助けてもらってはいけない」「助けてもらうのなら苦しまないといけない」といった思い込みを持っている。

これは幼少期に「風邪で学校を休んだのなら、1日中寝ておかないといけない。なんなら夜までは苦しんでいないといけない。そうでないと仮病。サボり。」と厳しく叱責されて根付いた罪悪感だろうか。そういえば母親もこういう思考を持っている。他にも色々な出来事で心身に染み付いたのだろう。


こんなの絶対によくないね。「連絡をするか?しないか?」という問題じゃない。どっちを選んでも、こんな想いがあると重苦しい。

これでは他者にも重圧をかけたり、ネガティブな想念を撒き散らすようなことになる。と、人のことを理由(言い訳)にしなくてもいい。

とにかく自分が、こんな暗い思い込みを持っていたくない。もっと軽く、ゆるふわでいたい。

「苦しいから助けてもらえる」というマインドセットを捨てる。これを持っていることは過去の私にとって何か役に立つものだったのかもしれない。しかし今の私には不要だ。

苦しくなくても助けてもらおう。自分が楽しむために、ラクするためにも助けてもらおう。そういう形で周りへ甘えること、周りに頼ることを、自分にゆるす。OK。マイペンライ。

逆から言えば、助けたのに苦しんでるってのは、助けた甲斐もねえもんな。気軽に助け合えて(頼み合えて)、互いに良い気分になれるような在り方に変わろう。

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