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#071|何度でも伝える|問題は2人でクリアする

雨が嫌いで苦手だったけど、最近はそのよさもわかってきた。今日は雨の日の街並みを楽しめて、好みや感覚が変わることは自分の変化をはっきりと認められることなので嬉しい。note365日連続投稿チャレンジ71日目。

共に生きていきたいならば、伝えることを諦めない

現状の問題やこれからの計画について、パートナーと話し合った日。お互いに問題だと感じている事柄が、「相手起点で起こっている」と思っていたことがわかって笑った。

「あなたが原因でこの問題は起こっていると考えていた。しかし、あなたはそれを改善する気がないように見えた。だから、私一人でなんとかしなければと思っていた」と、ふたりともが言う。

視点も認識も真逆、結論を踏まえての解釈は同じ(自分ががんばろう)なことも、けっこう問題だ(勝手に解釈して一人で抱えるという決断は苦しいだけだ)。

今日のように話す時間を取らなければ、そしてこのことを伝えるということをしなければ、二人でバラバラに孤軍奮闘していたわけだ。しかも、お互いが「問題の原因は相手にある」と見えているので、いくらがんばっても根本的な解決はできなかっただろう(事実、これまでも一人でなんとかしようとしてきたができていないのだ)

お互いに「問題は相手にある」と思っていたとはいえ、私達は"他責"的な考え方ではなかった。石を投げてくるのは相手だけれど、投げられる自分は自分のできることをしよう、という感じで、解決に向けて主体的な気持ちではあった。しかし、実は自分の方が石を投げていた、という笑い話。

これはようするに、自分のできることをしよう、とアレコレやっているのが「相手に石を投げる」ことになっていたという形だ。これがわかれば、やることはかんたん。やることは、何かをやるのではなく、「やめる」ことだ。


問題を1人で解決しようとするのはもうやめよう

今回の勘違いは「きちんと話せばわかる」かんたんなことだった。しかし、話をする際の言い方が相手を責めるような雰囲気になってしまっていたら伝わらない。また、すでに何度か伝えたつもりになっている(なのに改善が見られないような)話題だと、もう「話すこと自体」を諦めがちでもある。

「いちいち伝えようとする」行為の精神的なコストは大きく、がんばりに対して見返りがないことも多い。しかし、やっぱり「1人で解決しようとする」のは悪手だなと思った出来事でもあった。

もう、どんなことでも「問題に対して1人で解決しようとする」態度はゼロにするべきかもしれない。どんなことでも、誰かを巻き込んで解決にあたる。その発想と、実際にそれを可能にする動きをどれだけできるか?

やることはシンプルなことから。わからないことはわかってそうな人に聞く、自分でできないことはできる人探してきてやってもらう、などもその典型例だ。

ただ、「自分の問題は自分で解決しよう」と生きてきた人なら、最初はまるでやり方がわからないと思う(私も!)。それでも問題はみんなの力で解決しようとするムーブを練習すべきだろう。時代的にもそうだ。

1人の問題に、いつまでも1人で苦戦している場合ではない。みんなで解決してさっさと次へ。こういう動き方が大切だ。(もちろん、悪い意味での人に頼る仕方、ただの人任せや、強引な押し付けってのは全く違う話だ)。

(「みんな」というのは、まず「あなた」から始まる。みんなの最小構成単位は「2人」。問題を「あなた」と一緒に解決できるか?まずこの「あなた」を見つけること、伝えること、解決に誘うことができることが、上手な共闘の一步かもしれない)

「人に迷惑をかけてはいけない」と、コンコンと教えられて育った人も多いであろう我ら昭和世代。そんなクソな価値観は手放して、もっと「おたがいさま」の精神で生きていけるようになった方が楽しい。迷惑をかけて、かけられて、いいんじゃないか。それが孤独にならず、人と生きるってことじゃないか。


✑58分|1600文字

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