#256D|余計な言葉が多かった

note365日連続投稿チャレンジ256日目。

今日は緊急の相談が別口から2件あって、電話でそれぞれ1時間ほどお話した。どちらも落ち着いて、完全解決ではないけれども状態はよくなった。結果はよかったと思うが、自分の言葉を振り返ってみると惜しいところを多く感じてくやしい。

自分は余計な言葉が多いなといつも思う。どうしても凹むところが直らない。

それは①ちゃんと説明しようとして言葉数が増えることで逆に伝わらなくなる。②自分が思い浮かんだ話したい話題を加えることで全体がよくわからなくなる。③相手を変に気遣う言葉で逆の効果が起こってしまう。という3点が主だ。これがわかっちゃいるけど、やめられない。

この原因は心の弱さな気がする。「"伝わらない"ことへの覚悟」が足りてない。よーするに相手の顔色を伺っているといえるかもしれないが、そういった弱い心が余計な言葉を生んでいるのではないだろうか。

「憂鬱でなければ仕事じゃない」という言葉がある。その心には私も共感する面がある。憂鬱と思える部分がその仕事への伸び代だ。その視点からすれば、今日のような結果と、今のこの気持ちこそが「よい仕事」なのかもしれない。しかしそれは「その憂鬱さを踏まえてハードルを超える」ところまでがセットであるはず。行動を変えて、超えなければただウジウジしているだけになる。

私は「自分は余計な言葉が多『かった』」という過去形に変えていく。ゆったりどっしり在りながら、的確なものを厳選して表すように。

そのためには逆に、もっと喋らなきゃだ。実践量が少ないものに上達は起こらない。また、なんとなく重ねても意味がない。集中して、かつ量をこなす。当たり前のことをやる。

書く練習だけでなくて、喋る練習もまた始めよう。言葉として「練習」というが、きちんと本番を重ねる意識で。表note、表スタエフ。そして自分の講座作り。11月前半は隙間がゼロなので後半からスタートする。

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