#436C|損得勘定も大事よな

「損得を考えろ」と聞くと、どういう気持ちになるだろうか。

私は損得勘定を抜きにモノゴトに当たることが多い。コスパやタイパを重視するような人からすると、なんの利益も生まなそうな、信じられない時間の使い方もしている。

昔から、私の活動に対して、無駄すぎるとか、余生かよとか、アホがすることだなど言われることがある。(アホがすること、ってのはなかなか、言ってくれるよね)

しかしそりゃ当たり前のことだ。だって人生には老いがあり、終わりがあるのだから。なるべく早く多くを手に入れたい、やりたいって、わかる。

それでも、だからって損得ばっか考えて生きるってのはつまらんだろうと思うものだ。

特に私がマーケティングとかにもちょこっと関わりつつ興味を持てないのは(ゆえにマーケターとかになるのは嫌だと言うのは)、「これをやった方が得をする」からやる、みたいな、利益や効果の最大化といった発想が苦手だからだ。

得になるから誰々さんと付き合おう、人脈を作ろう、これを仕掛けておけ、買う見込みのある人間にだけ時間を使え、みたいな発想が鬼嫌いだ。(もちろんそんな拝金的な考えばかりがマーケでないことはわかる)

とはいえ、たとえば筋トレする時にはプロテインやクレアチンやベータアラニン飲んでるわけで、それは一回のトレーニング効果を最大化したいという思いからであり、損得勘定と言える。

まあそれとこれとは違うとは思うが、しかし私はけっきょく、変なこだわりで勝手に選んでいるナニカにだけ、「損得勘定は無粋」だなんて思っているわけだ。


2

そして最近、ちゃんと損得勘定をしないとマズいなと思う生活(仕事)になってきた。

私はあまりに安易に労力を投下しすぎていて、見合った返りがないまますり減っていることも多い。これはただ自分がアホなだけで、「見返りをくれない誰か」がいる、などではない。これが自分のことだけならそんな生き方も嫌いじゃねえとか言っててもいい。

今ある問題意識は、「人を巻き込んでいる」というところにある。みんなのリソースを使って、それに見合う返りが、みんなにとってもない、というのはマズいと感じる。

そう感じるくらいの常識的な感性はある。(なければもっと突き抜けられたのかもしれない)


3

これまで一匹狼的なスタイルでやってきたこともあり、今のように自分が主体の上で色々な人に関わってもらって動く、チームを率先していく、ということはしてこなかった。

そのためチーム全体に自分と同じ「労力無限投下」みたいな方式、一億総火の玉みたいな戦略で(それは戦略ではない)動いてもらうことになっている。

このままでは関わってくれる人や助けてくれる人と、全員で一緒に燃え尽きかねない。それはやっちゃいけないことだし、結果はわからないにしても、そうならないで済む損得はちゃんと勘定するべきだ。

好みはおいて、立場によって損得勘定をきちんと入れる必要があること。これは「大人の考え」ってやつだろう。そうできてこそ、関係者全体が豊かになる。コンパスはないけど、とにかく全力疾走だ、なんてやってはだめ。

いや本当に当たり前のことを言っていると自分でも思うのだけど、こういうのを無視してこれまでやってきたから、今さらながらに学んでいるところだ。

向き合う時だ。自分のリソースの投下それ自体を惜しむようになったら終わりだが、しかしその投下先は厳しく考えられるようになっていこうという場面。

関係するみなさまのために自分を使う、という発想のレベル2。対一の献身でなく、対Nで周りを活かすためにどうするか。

一般的な人にとっては「すでに通過した場所」かもしれないが私には新鮮。もっと真剣に、広い意味での「みんなの利益」を考える。

(そうすると、発想は一周回ってマーケティングに行き着くっていうのおもしろさ。けっきょく嫌っているものの中にカギが落ちている。見えていないのはいつも、自分の目が曇っているからというだけなのだ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?