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#094|書きたいことがない

今日は書けない愚痴をぐちゃぐちゃと書いた日。これはさすがにアップしてもしょーがないよなあ、と思いつつ、こういう葛藤も出しておくのがリアルダヨネ。ということでnote365日連続投稿チャレンジ94日目。

書きたいことがなくなった

内省的な内容や日記的な内容でブログの毎日更新を始めても、更新が難しくなってやめてしまう大きな理由は「書きたいことがなくなる」ことだろう。

まず書くための情熱がなくなるというのが大きい。その理由は「ネタ」も「表現パターン」ももはやなくなったような「気持ち」になるからだ。自分が毎日同じようなことしか書いてないような「気がしてくる」。

実際に、そんなに毎日違うことが起こるわけでもないし、違うことをしているわけでもない。また、起こった出来事の切り取り方がワンパターンな「気がしてきて」、それゆえに自分で成長も感じられず、毎日書くという意欲が薄れていく。

この辺りは、仕事的な意味で書いているものではないブログゆえの苦しいところだ。数字を追っているわけでもないのでモチベーションの源泉を外部に置けないことが、こういうシーンでは逆に苦しくなる。

書けばいいんでしょ、ということで「よく晴れた日でした。カフェに行って友達と話して楽しかったです。夜はさんまを食べました。」といった「ただの日記」を書き続けるわけにもいかない「気がする」。(私の場合それは別の日記に書いているためでもある)

本当にネタが何もないのか?というと実はそんなことはなく、まだ出していないことはたくさんあるハズなのだ。しかし、それらをわざわざ出したいとも「思わなくなる」。何十日も続けると、出したいものは出してしまって(そんなに大した数を書いたわけでもないのにそう「思う」)、あとに残っているのは出すモチベーションも特にわかないものだ。


「気分」の問題

ということで、書きたいことがなくなるのはよーするに「気分」の問題だ。書き始めた当初から状況としてはあまり変わっていないのに(文章の技量が落ちるわけではないし、ネタもなくなっていないのだ)、再生産的に感じるので無意味のように思えてくる。

続けるために頭だけで考えた文章を書くようになると、イマイチ腑に落ちなくなってむなしくなる。そうして負のループが生まれる。

価値提供を約束した文章でもないのに苦しくなるのは、こうした気持ちによる自滅だ。これを抜けるためにどうすればいいだろうか。


書きたいことがなくなった私はどうするか?

私の場合は「書くのをやめるか、書き方を変えるか?」の二択だ。

これまで書き方のルールは「テーマを設定しない」「その時の即興で」「心が動いたことを」書くというものだった。

(前提に「毎日書く」×「人の役に立つことを書こうとはしない(ただ自分を出すことにこだわる)」×「人に見てもらおうとしない」という設定もある)

この「書き方のルール」を変えて、今後は「テーマを設定して、即興でなくても心が動いたことでなくても、なんでもいいから書きつづける」ということで、これからもやっていく。

特に「毎日書くテーマ」を先に決めてしまえば簡単になる。でも「そんなやり方で書いて、この365日連続投稿チャレンジをやる意味があるのか?」と思っていた。

それでも、書くのをやめるよりもいいハズだ。そして、意味があるのかないのかはやってみないとわからないよな。


今後書いていくこと


A.エゴフィルターによる選抜が終わった、そのあとにまだ残っているネタこそ、他人からすれば興味深いものかもしれないので出していく。

B.ポジティブ日記を書く。出来事に対する感謝日記のようなものだ。

C.積み上げの記録と、それへのコメントを書く。

D.活動の記録と、それへのコメントを書く。

E.書きたいことが生まれたら書く(これまで通り)


B,C,Dを毎日の基本にして、AやEがあれば追加する構成に変えて毎日投稿チャレンジを続けていく。


✑50分|1600文字

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