#410C|嫌なことオセロ

なんともモヤモヤする。ストレスを感じる。不満が溜まっている。そんな時に「嫌なこと」を書き出すことは効果がある。

「嫌なことのリストを書こう」、というのは目標設定のシーンでわりと馴染みのある取り組みだ。だがこのリスト、個人的には「使い所」が肝心だと思う。

このリストは、特にそれほど嫌なことがない時、ストレスを感じていない時に書いても、内容はスカスカになりほとんど効果がない。なんかそれっぽいもの、いわゆる上っ面のものしか出てこず、毒にも薬にもならないのだ(ちょっとした毒にはなるかもしれない)。


しかしストレスフルな時にはかなりの効果があるなと感じる。書かれた文字に痛みというリアリティが伴った生々しい「嫌なことリスト」は強い。

なにがいいって、ターゲットが明確になることだ。自分がなににストレスを感じているのかを捉えられる。問題は見つかれば半分は解決したようなもの、と言われるアレだ。

嫌なことを意識に上げないまま、慢性的にストレスを感じているような場合にはこのリストは効果的だ。

そうして書き出したリストを反転させてやれば解決するのだから(あえて軽く言う)、嫌なことリスト起点に、そのまんま目標と道のりの導線が引ける。

こうして生まれた目標には、ふわっとした「あんなことができたらいいな」「こんなことがやれたらいいな」という「やりたいことリスト」よりも、ずいぶんと強力な力がある。


「嫌なことリストは役に立たなかった」という人もけっこういるが、そういう人はそれほど嫌なことがなかった時にそのリストを書いたのではないかな。

私はこの取り組みを「嫌なことオセロ」と呼んでいて、たまにゲーム化して楽しんでいる。オセロをひっくり返すような遊びゴコロで嫌なことを消そうと試みると、「嫌だなぁー」と思うばかりで行動エネルギーがゼロだった状態に火が入る。

モノゴトに対して自分が介入できる、という実感を取り戻すことで生まれるエネルギー。嫌なことを「イマココ」化する、というと無理やりかもしれないが、手の届く目の前まで引っ張ってくるような感じだ。手で触れられる目の前にまでくれば、それはくずしたりほどいたりできたりできる。


※なお自分には本当にどうしようもないことについては諦めて受け入れる、あるいは気にしないでいる、というコントロールも重要だ

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