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#145|終わりを想い描く
自分の声が届かない人、しかしそれでも届けたい人に、その声をどうやって届けるのか?note365日連続投稿チャレンジ145日目。
終わりを想い描く
コロナ前までは多拠点生活だった。今は2拠点生活をしている。
再び多拠点生活がしたいか?というとあまり熱量はなくなっていて、それよりも今は「最高の1拠点」をどこかに創りたい思いと、「拠点などを持たずにもっと流動的にどこででも過ごせる状態」を望んでいる。
拠点は増やすほど維持コストがかかること、それを自分1人で賄う大変さも経験した。多拠点にするのなら、何かお店を作って全国展開、というような仕方だろうなと思う。
こういった「自分の理想」みたいなことはいくつになっても描いていれば楽しいが、今日はもっとリアリティのある話。
対話ができたことのない家族
岡山にいる間は実家で過ごす。その期間は毎朝毎晩、両親が動いている姿を見てホッとし、しみじみと感謝の気持ちが湧くようになったのは今年からだ。
気がつけば、両親はぐっと年をとったなと思う。いや自分自身の頬のたるみに驚く(そして信じたくない)くらいだから、そりゃあ両親はいわずもがなだ。
対話がまともにできたことは1度もないような関係性だが、日常会話くらいは気兼ねなくできる。しかし我々親子というのは、ほとんどお互いのことを知らないだろう。ずっと近くにいるのに、これほど「わからない」相手というのも面白い。
面白い、というのは半分本当だが、半分は悲しいものだ。親子仲よく、互いによいところを伝え合ったり個性を認め合ったりできているご家庭を見ると、その輝きっぷりに泣けてきそうなほど、こみ上げるものがある。なんで、うちは対話できないんだろうなあ。
届けられるように
そうして、「こうしていつまで会話できるのかな」とか、「このまま健康に天寿を全うしてくれたらいいのだけど」とか、ぼんやり考えながら彼らを眺める時間が増えた最近。
過去の記事にも書いたけれど、私は20代をほぼまるっと精神を病み潰しているせいか、実年齢より10歳くらい幼いような感覚がある。なので、なんだか両親もまだ現役で働いて元気に過ごしていくもんだ、という思い込みが取れない。実際には定年も過ぎて、「元気に過ごす」時間がいつまで続くんだろう、というような段階に来ている現実が、頭からすぽっと抜ける。
彼らはずっと人生をクソ不器用にひたむきに働いて生きてきたので、まだ色々なところに行けるうちに楽しい体験をしてもらいたいのだが、残念ながら私のちから不足でそんな提案も今はできない。
せめて健康寿命を伸ばすような働きかけがしたいのだが、こちらもほとんど言葉を届けられず、たとえばお昼はしょっちゅうカップラーメンとか食べているのが気になっていたり。岡山では料理が作りにくく(母が不機嫌になるため)、発芽玄米などを作ろうとか、調味料をいいものに変えないか?といった働きかけも難しい。
とはいえそんな、できない理由をいくら言っていてもなんにもならない。そういう壁や頑固さも全部吹っ飛ばせるような、魅力とかエネルギーとか、私が発揮できればいいわけだから。
最終的に根性論になるのは悪い癖かもしれないが、あんまり悩まずに今日もやれることを懸命にやって。近いうちに、彼らに届けられるようになりたい。
終わることを想定してこそ今が味わい深くなる
基本的に「今にコミット」して、順算的に生きるスタイルを採用しているが、こういった人間関係の面においては「終わりを想い描く」逆算的な取り組みが有効に働く領域だと思う。
両親だけではない。今出会っている人たち全員にも言える。今生きている私自身にも。この縁が、命が、終わる前に、自分にできること、したいことは何か。
「明日死ぬかもよ?」という本を定期的に開くが、いつも明るくそれを意識していたい。
明日もしっかり生きような。
✑37分|1500文字
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