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#091|そういえば3ヶ月突破|友の日

note365日連続投稿チャレンジ91日目。地図にも載っていて、Instagramで確認すると営業もしているのに、どう探しても見当たらない謎のパン屋に遭遇した。結局お店は見つけられなかったが、一瞬異世界に迷い込んだような感覚を得られて楽しい体験だった。

3ヶ月突破

そういえば、毎月「18日」はブログ開始記念日であり、昨日は3ヶ月目となる節目の日だった。3ヶ月目にはブログ運営のまとめ記事を書こうと思っていたのだけど、超えてしまったのでまた区切りのいい100日目に書こうと思う。

最近の状況を残しておくと、最近はふたたび毎日更新に対する心理的な壁が現れている。更新への熱量がなくなっており、嫌々書いているわけではまったくないが、なんというか、燃え尽きているような感じがする。

毎日よく書いているなと思う。更新すること自体には慣れ、逆になぜ更新するのか?という部分への熱量が消えている状況だ。

原因は「書くこと自体」への成長が感じられないためだと思う。書くことで「私自身」は成長している実感があるが、90日たっても「書く力」の成長は感じられない。それによって飽きが来ている気がする。

このままさらっとやめてしまえそうな心理状態なのが怖い。朝令暮改は大賛成で、サンクコストは嫌いだが、しかしだからといってこういう局面で「やめ」を選んでしまうとダメな気がする。

クラブハウスだと、一緒にやってくれている人がいるためこんな気持ちになる時があっても続けられてきて、現在480日ほどになる。しかしnoteは毎日更新仲間がいるとはいえ、書くこと自体は孤独な作業だ。

今すごく、何かが試されているなと思う。こういう気持ちの波というのはあるものなハズだから、あまり気にせずにやっていきたい。


友について

今日は親友Dayで、2ヶ月ぶりにガッツリ遊んだ1日だった。私が岡山に帰る楽しみの1つは彼との対話の時間にある。この期間で、お互いに著しい変化があったこともあり、いつにもまして話が尽きない6時間だった。

一般的に、年齢を重ねると友達は出来づらくなると言われる。仕事関係者は増えても、金銭や仕事面の利害なく付き合える「友人」となると、やはり幼少期に時間を共にした相手だけだ、という人も多い。私は幸運だと思う。

この友人とは20代も後半になって出会ったが、激烈にフィーリングが合い、会う度に学びになり、楽しく、考えを知るほど尊敬の念も深まった。彼に出会ってから、私は自分が人付き合いにおいて何を重視する人間なのかがよくわかった。

彼は非常にクオリティの高い飲食店を営んでおり、私はひかえめにいって県を代表するお店だと思っている。(これは友人だからそう言っているのでなく、友だちになる前からそう思っていた)

何を考えてどう仕事をするか、どう人と接するか、どう生きるか、あらゆる面で深掘りしており、仕事に対しても人生に対しても研鑽を続けている。そして現実に仕事で結果を叩き出し、人間的な魅力としても表現されている。ひと言で言うと「止まらない」人だ。満足しない、慢心もない。

私は彼のように仕事でハッキリした成果を出しているわけではないが、そのような無限に突き詰めていくスタイルと、人に対する敬意や礼儀の面、そして何を楽しいと感じるかの感性部分など、多くの面で互いに強くシンクロを感じて、会う度に最高だと思える相手だ。

アリストテレスが、たしかニコマコス倫理学の中で「真の友に出会うことはなにより難しく、それはなにより人生を豊かにする」といったことを書いていたが、彼と出会ってからその「豊かさ」の意味もよくわかった。

私は昔から、「未だ見ぬ友」のために、私自身が相手にとっての「よき友」であれるような人間であろう、と思って生きてきた。その気持ちが実ったと実感できたのが彼との出会いだった。

相手の幸せを願い、喜べること。楽しさを理解しあい、共有できること。いずれかの面で刺激になり、高め合えること。これらを大切と思う。

✑60分|1600文字

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