#339D|力を抜く

note365日連続投稿チャレンジ339日目。今日は色々バタバタでこの時間23:50になった。

自分のことは自分ではわからないもので。本当にわからないもので。

自分のアウトプットがひどいと感じて落ち込んでいても、外から見るとグッジョブであった、ということもまあ、あるあるな話だ。

なので、過剰に「いい」と思ったり「悪い」と思ったりするのは不要で、自分で自分のやったことの評価なんてしなくてもいい。「ひどかった」のが事実であれ思い込みであれ、気にしなくてもいいのだけど。

ここの囚われからなかなか出られないわたくし。これ、なくしたい。


今日はタスクシュート協会で100日チャレンジ第七期の運営ミーティングを主催した。日中はそれに向かってわちゃわちゃと用意をしていたのだが、イマイチいい案が出ないし、うまくまとめられねえなと悩みながらの作業だった。

ミーティングの構成を考えてテキスト資料を作るのに合計5時間かかって、しかしそれだけ時間をかけたのに見合うアウトプットとは感じられず、ミーティング前にはすっかり気分も落ち込んで、開始20分前にうなだれて頭からシャワーを浴びているような状態だった。

しかし実際のミーティングは楽しくて(私は対話してりゃ楽しいからな)、みなさんからのいいアイデアも出たが、自分のまとめ方や進行はこれでよかったのか(いやよくない)(もっといいやり方があるはず)と事後も落ち込んでいた。

のだが、ミーティング後には「よかったよ」という言葉をもらって、単純に元気が復活した。資料は時間をかけてまとめられたものだと察知してもらえたことも嬉しかった。


わたしは根がアホなので、人がよかったと言ってくれたら素直に喜ぶし、険しい顔をみればダメだったか、ともなってしまう。こういう反応は気質もあってなかなか直らないのかもしれないが、しかしもうちょっとこういうことに関して「どうでもよく」なりたいものだ。

今日なんて、べつに失敗したわけではない。次のアクションや伝達事項は伝えられた。ミーティングが過不足なく終わったのだから本来はOKだ。そもそも、そんなに重いタスクじゃない。もっとふわっとやって終わればいいものだ。

なのになぜそんなに、いたずらに最上志向を発揮するのか。どこでもかしこでも何に対しても節操がない。いや「よりよく」を目指すのはいいとしても、しかし「至らなかったから」といって気分を沈めるのはやめろ。

これもきっと、自分の中にまだ消化できていない(手放せていない)モノがあるのだろう。そうだな、私にとってはここを手放す「100日チャレンジ」にしたい。力を抜くところでは力を抜けるように。

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