#264C|光視症|聞かせられる話し方を

今日はいい発見がたくさんあって気分よし。1日のおわりに、「今日の学びは?」「それをどう活かす?」という問いでゼロ秒思考メモ書きをするのは有意義だ。note365日連続投稿チャレンジ264日目。


いそがしい最中に光視症に

昨日は京都から深夜3時半に岡山に帰った。雨がすごかったのでSAで止むのを待つか迷ったが、翌日も朝から仕事だったので強行突破を選択。

しかし高速道路を走っていても雨で道が見えず、前にぼやっと浮かんでいるトラックのテールランプだけを頼りに爆走することになってめっちゃくちゃ疲れた。頭痛も眠気も強かったので記憶があまりない、しかしこれまでで1番大変な運転だった。

最近は過密なスケジュールが続いている。今日も頭痛を我慢しながらパソコン仕事に邁進していると、視界の隅がピカピカと光りはじめた。

ついに神の啓示が視えるようになったかと驚いて調べたところ、これは「光視症」というらしい。網膜が引っ張られることでうんぬんかんぬん。

それは片頭痛からも発症するぽいので納得ではあるが、こうしてだんだんと身体のパーツが壊れていくのね。けれど、それが歳を重ねることでありしっかり生きてる証だと、前向きにというか気楽に捉えて、あまり気にせずやりたい。

あと1週間はこんな感じの見通しで、諸々タスクが滞っている関係者の方々におかれましてはおまたせしておりすみません。


人に「聞かせられる話」の練習を

先日の奈良で。カフェの駐車場で警備員さんに話しかけられた。その方の出身が岡山ということでナンバープレートを見て声をかけてくれたのだけど、この警備員さん、まあよく喋る。

無限に自分の話したいことをマシンガンのように打ち出してきて、聞きながら「この人に今こうして出会っているのはどういう意味があるのだろう」などとメタ的な思考になった。

そこから
①自分の正直な気持ちを躊躇なく出すこと
②「聞く」のではなく自分から相手に「聞かせられる」ような話しをする技術を伸ばすこと
という課題があるな、と勝手に受け取った。


このnoteで何度も書いているが、私は「一方的に」話すことや「自分のことを」話すのがうまくない。

質問のやりとりを含む「対話」であったり、何かの話題(読んだ本、美味しかった食事、素敵だった神社、など)について「端的な話」はできても、「ある程度長い時間、自分1人で話し続ける」とか「自分自身のことをおもしろく話す」とか「内的な発見の即興シェア」などはうまいこといかない。


私の親友はこの点が抜群で、インフルエンサーの素養がある。彼の話はいつもおもしろく、聞いていると情動が動かされる。1人で長い間話し続けられる力(聞かせ続けられる力、が正しい。紙芝居を読む人みたいな感じで、聞き手を引き込む)。あんな風に話せるようになれたらと思う。

私がこれを即興で挑戦しても玉砕しかしないので(今日のクラハでもそうだったと感じる)、丁寧に準備することからしかない。紙芝居を喋る練習とかほんといいかもしれないな。

何事でも全力でやってMAXで10%ずつくらいマシになっていくもの。一発で成功しようと思わず(そう思うと挫折する)、何度もトライアルを重ねてだんだんうまくなっていきたい。

「聞かせられる話し方」の上達のために、積極的に話せる機会があれば狙っていく。

(そんなことしていいのか?聞かせられる方の身になれよ、などと思ってしまうが、そういう気遣いは捨てる。そんなこと言っていると永遠に話せるようにならんので、場はわきまえつつも、私はもう少しずうずうしくなっていきたいと今は思っている)

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