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#155|おやすみ|切り替えクッション

今日はしっかりと休んだ1日。人には体や頭だけでなく、心や精神の休みも必要だ。そして休みから復活する際には「それ専用」の行動を用意しておくといい。note365日連続投稿チャレンジ155日目。


ひさしぶりのおやすみ

朝。起きたら体が妙にだるい。これは「がんばったらマズイ」だるさだと思った。腸が疲れている感じがあり、動く気にならない。

この2ヶ月近くゴリゴリ動いているので、活動レベルが1段上がったんじゃあないかと思っているけれど、どこかで休む必要はやっぱりある(当然か)。

幸いなことに、今日は確定している対人の予定はなかったので「やすみ」にしようと朝から決めて、存分にゴロゴロとすごした。

一度つけたアップルウォッチは外し、スマホを手放し、午前中はのんびりと家事だけをした。昼にはガッツリ昼寝をしたあと軽くマッサージを受け、夕暮れの道後温泉周辺を散歩し、食材を買うためにスーパーへ行って、帰りに外のベンチで行き交う人々をぼーっと眺めた。それから少しドライブして夕日や住宅街を見てまわり、帰ってシンプルながら美味しい夕食をいただいた。

普段とは違う心の「満ち」加減の1日。BURNINGでなくCHILL。タスクを一切放り出して、生産性ゼロ。とても贅沢さを感じられる、これはセロトニン系の幸福感だ。

いい日だった。


ダラダラとゴロゴロの違い

たしか先週くらいにも「ダラダラした1日を過ごした」という記事を書いたが、あらためてふりかえってみるとあの日は「仕事をやりたい」けど、「気がついたらSNSを2時間見ていた」「そのまま漫画もガッツリ読んだ」みたいな感じだった。まさに「ダラダラ」という言葉がピッタリな、「休み」というより「ただ失った」ような日。(それでも、それを嘆かず責めず受け入れられるようになった点を褒めた)

逆に今日のように、本当のやすみのような「ゴロゴロ」する日を過ごすと、肉体だけでなく思考も精神も充電された感覚がある。現代人は「体だけ」休めて、アタマや精神は休まっていないような「休みの日」も多いのではないだろうか。

上記149日目の日は、最後に「こんな日は人生で1日もいらんなと思う」と書いているように、やっぱり「休み」になっていなかったようだ。

その日と今日の違いは何か?「最初から休むと決めた」「スマホに触っていない」「ストレスのない仕方で、人とおだやかな交流があった」というあたりだろうか。当たり前のことだけれど、「意識して休みにする」こと、「スマホに触らない」こと、ってのは大事だなと思う。


そもそもこの5日間はイレギュラーな日々でいつもよりハードだったので、そういう点からも今日を休日にしてよかった。

しっかり休み、明日からは通常営業。活動の切り替えのために、早起きして用意してから、朝7時営業のカフェに行って仕事をする。

これもリズムを変えるためのいい手段(改善タスク)だ。非日常から →日常に戻る時には、何か「クッション」になるようなものを作るといい。

季節で言うと、今は夏から秋へ切り替わるタイミングの「土用」という期間だ。こうして暦にも見えるように、人間という自然物は「スイッチを押せばすぐに切り替えられる」機械のようなつくりではない。ある程度の余幅、アソビが必要で、そのゆるやかさが本質の1つだ。


✑45分|1300文字

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