【立ち読み】『築地と豊洲』澤章著(都政新報社刊)【一部無料公開】
見出し画像

【立ち読み】『築地と豊洲』澤章著(都政新報社刊)【一部無料公開】

おうち都政新報

 元東京都中央卸売市場次長の澤章さんが執筆した『築地と豊洲』が様々な媒体で話題を呼んでいます。「おうち都政新報」では、同書をおうちで立ち読みできるよう出版部と交渉して、一部を無料で公開することとなりました。公開したのは同書のほんの一部ですが、この先をご覧になりたい方はぜひ、お近くの書店か、都政新報社出版部までお申し込みください。詳細は本稿の最後をご覧ください。

画像1

 2017(平成29)年1月某日
 新宿区西新宿 
 東京都庁第一本庁舎7階知事執務室
 「胃が痛い…」
 小池百合子東京都知事は中央卸売市場長からの説明を聞くなり、そううめいた。
 豊洲市場用地で2年間にわたって実施されてきた地下水モニタリングの最終結果が報告された直後のことだった。調査地点201か所のうちの1か所から環境基準の79倍のベンゼンが検出された。この地点も含め合計72か所でベンゼン、シアン、ヒ素が基準値を超過した。
 想定外の結果だった。
 説明の途中、知事は自らの気持ちを落ち着かせるように、「胃薬、あげよか?」と、同席していた安藤副知事のほうに顔を向けて関西弁のイントネーションで弱弱しくオヤジギャグをかました。執務室内の誰ひとり笑うものはいなかった。そして、市場当局からの説明が終わると、知事は再び「胃が痛い」と独りごちた。
 平成が幕を閉じようとしていた最後の数年間、東京のみならず日本中を騒がせた「築地市場の豊洲への移転問題」が、誰も予想しなかった方向に転がり始めた瞬間だった。それは同時に、小池知事が就任直後から練り上げてきた「移転延期・短期終結シナリオ」がもろくも崩れ去ったことをも意味していた。
 あの騒動はいったい何だったのか。
 小池都政最大のブラックボックスである市場移転問題を開封するにあたり、迷走に迷走を重ねた事件のアウトラインを、まずは以下にまとめておく。
 2016(平成28)年夏の都知事選で圧勝した小池知事は就任直後の8月31日、同年11月7日に予定されていた築地市場の豊洲新市場への移転を急きょ延期、その直後に豊洲市場の主要建物下にあるべき盛土がなく地下空間の存在が発覚した。安全性への不安、都庁への不信感が一気に噴き出し、知事が設置した外部有識者による二つの組織(市場問題プロジェクトチームと専門家会議)がスタート、都議会では市場問題特別委員会が設置されるなど、オール東京都の検証が実施され、11月には幹部職員の更迭・処分も断行された。
 明けて2017(平成29)年1月、最終回となる第9回地下水モニタリング調査結果で環境基準の79倍のベンゼンが豊洲市場用地の地下から検出され、これに市場業界(なかでも水産仲卸)が猛反発、移転反対運動がさらに勢いを増した。3月には百条委員会で石原元知事らが証人尋問され、専門家会議が反対派の妨害によって休会に追い込まれるなど、混乱に拍車がかかった。
 東京都議会議員選挙を翌月に控えた6月下旬、築地か豊洲かの選択を迫られた小池知事は基本方針「築地は守る、豊洲を活かす」を発表。どっちつかずとの批判をよそに、知事肝入りの都民ファーストの会は猛烈な追い風に乗って都議選に大勝したが、10月の衆議院議員選挙では知事自ら陣頭指揮をとった希望の党が敗北する。その後、築地市場の業界や地元・江東区との調整、追加対策工事の入札が難航したものの、年末には1年後の10月11日に移転・開場することが決定した。
 知事の「食のテーマパーク」発言で一時は撤退も危ぶまれた「にぎわい施設」事業者とも、2018(平成30)年5月にオリンピック後の整備で合意した。また、夏から秋にかけて地下の追加対策工事が完了し、農水省の許可も下りた。そして迎えた10月6日、築地市場は83年の歴史に幕を下ろし、大規模な引っ越しののち、同月11日、豊洲市場が開場した。当初の予定より約2年遅れの開場だった。この間、マスコミは連日連夜、手を変え品を変えて騒動の様子を報じ、都民・国民の耳目を集め続けた。
 今では、市場最大のドタバタ劇がまるで夢幻だったかのように、旧築地市場跡地では2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の「デポ」と呼ばれる車両基地の整備が進められ、豊洲市場は連日、国内外からの観光客で賑わっている。
 終わってみれば、すんなり元のさやに収まったようにも思えるあの騒動、多くの人にとっては、「ああ、そういえば、そんなこともあったねぇ」といった程度の出来事だったかもしれないが、ことはそう単純ではなかった。
 騒動が始まった2016(平成28)年9月から、収束の兆しが見えてきた2018(平成30)年3月末までの1年半、図らずも中央卸売市場に投入された東京都の一管理職の目を通して「つい、このあいだ経験した」近過去を振り返り、封印されたブラックボックスの中に分け入ってみるのも、あながち無駄なことではないだろう。

目  次
第一部 パンドラの箱(2016年8月から12月まで)
小池百合子、崖から飛び降りる
ドクターK 
地下空間劇場

↑↑↑本稿での収録部分はここまで↑↑↑

異動内示
アドレナリン
「謝罪」会見
都議会
ワイドショー
食肉市場発豊洲市場経由築地市場講堂行き
第二次報告書
一丁目一番地
楽観
第二部 反転と反撃(2017年1月から6月まで)
激震
百合子コール
安全より安心
二か月ぶり
戦闘モード
百条委
会議三昧
大暴走
砲撃合戦
流会
強行突破
行って帰ってくる
基本方針発表
書き換えとトラップ
換骨奪胎
第三部 …続く余震(2017年7月から2019年3月まで)
千客万来
無害化を無害化せよ
嘆息日
二年目の夏
パンダ大作戦
移転日狂想曲
入札異聞
ゆりこのゆりもどし
アイスピック
ラストスパート
招かれざる客
ずっこけポーズ
二匹のタヌキ
築地閉場・豊洲開場
平成三一年
少し長めのあとがき

第1部 パンドラの箱(2016年8 月から12月まで)

小池百合子、崖から飛び降りる

初登庁

 2016(平成28)年8月2日。都庁第一本庁舎2階正面玄関前には、この城の新しい主を出迎えようと多くの都庁職員が二重三重の人垣をつくっていた。その片隅に環境局次長の肩書の私も局長級の幹部職員らとともに手持ち無沙汰で立っていた。
 人の肩越しに、都議会少数会派「かがやけtokyo」所属の音喜多駿、上田令子、両角穣の3議員が車寄せにいちばん近い位置に陣取る姿が見えた。議会局からは、職員による出迎えセレモニーなので都議会議員の出席は遠慮いただきたいと要請されているはずだったが、三羽烏の面々はこの申し入れを押し切ったらしい。上田都議は上下グリーンのツーピース姿でビシッと決め、音喜多都議はやや紅潮した面持ちで背筋を伸ばしていた。
 歩道の脇には百合子追っ掛け隊と思しき中高年女性の集団がスターの入りを今か今かと待っていた。やがて白のワゴン車が車寄せに横付けされ、小池百合子新知事が降り立つ。割れるような拍手が起こる。駆け寄る3名の都議と固い握手を交わし、続いて四名の副知事とあいさつを交わし、小池知事は都職員からの拍手と熱い視線を浴びながら都庁第一庁舎の中に吸い込まれていった。

去り際

 何度も目にした風景だった。
 石原慎太郎も猪瀬直樹も、舛添要一でさえもそうだった。初登庁は新知事にとって晴れがましい第一歩であり、新知事が誰であろうと祝福の嵐で迎えられる。が、肝心なのは初登庁の高揚感ではない。都庁舎を去る時にこそ、その人物の地金が見える。つまりは去り際である。都知事としての評価は、都知事選を勝ち抜いた勝者を迎える時ではなく、都知事を辞めると決意し、都庁を去るときにはじめて定まるのではないか。
 石原慎太郎は辞め時を間違えた挙句に4期目の途中で老体の身となって、東京消防庁の音楽隊の演奏に送られて都庁を後にした。自らリクエストした演奏曲は「ロッキーのテーマ」だった。猪瀬直樹は予算特別委員会の場で5000万円の札束がバッグに入る入らないの三文喜劇を演じた末に、女性職員から受け取った花束を高々と掲げて引きつり気味の歪んだ笑顔を残して去っていった。
 どケチぶりと小理屈好きで自ら墓穴を掘った舛添要一は退任セレモニーを拒否し、第一庁舎2階出口に陣取る報道陣からの呼びかけには一切応えず、逃げるように都庁からいなくなった。見送りは知事周りの数名の職員だけだった。ちなみに、本人もまさか当選するとは思っていなかった青島幸男は独りきりで「2期目出馬せず」を決断してサバサバした心持ちで1期4年を全うした。退任セレモニーも人柄通り明るいものだった。4期16年を全うした鈴木俊一の退任式は誰よりも晴れがましかった。有楽町から西新宿への都庁移転を成し遂げた当の本人が、真新しさの残る新宿本庁舎を最初に去る栄誉に預かったのである。
 JR有楽町駅前の東京国際フォーラムの場所に都庁があったことを覚えている人は少ない。明治・大正・昭和を通じて首都東京の行政府と言えば、東京府・東京市役所の時代から有楽町と決まっていた。東京府と東京市を廃止し、東京都が置かれたのは第二次世界大戦最中の1943(昭和18)年。東京都という名称も含め都制が戦時体制強化の一環として設置されたことを物語っている。
 美濃部亮吉は大衆の人気だけは最後まで衰えることがなかったが、巨額の財政赤字を残しての「散々たる幕引き」となった。美濃部ほど「大衆」という言葉が似合う知事はいなかった。しかし実態はおよそ大衆とはかけ離れたセレブなインテリ学者だった。この美濃部が体現した「大衆が幻視する」知事像がそののち半世紀近くの間、東京都知事のイメージを決定づけることになった。
 国益を死守するマッチョを演じ続けた石原慎太郎は本人が毛虫より嫌いな美濃部の写し鏡であったし、その後継者たる猪瀬や舛添は所詮スケールの二回りも小さい劣化コピーにすぎなかった。石原を国民の敵に仕立て上げようとした小池知事もまた、男社会に立ち向かう女性闘士のイメージを駆使して大衆の喝采を浴び、2016(平成28)年の夏、こうして都庁の門をくぐった。大衆が求めるイメージを演じ続けることこそが東京都知事最大の仕事なのだと言わんばかりに。
 この時、小池百合子にとって、東京都知事という一世一代の大芝居の幕はまだ上がったばかりだった。

キラーコンテンツ

 築地市場の豊洲市場への移転が世間の耳目を集めはじめたのは、いつごろからだったか。
 2015(平成27)年の暮れと言えば、もともと予定された移転開場日11月7日まで既に一年を切っていた時期である。これで築地市場の活気も見納めのはずだった。師走の築地をいくつものメディアが取り上げた。年が明ければ明けたで、築地「最後」の初セリを「すしざんまい」の社長が本マグロ一本1400万円で競り落とした。あまり景気のいい値段ではなかった。そして、「さようなら、築地市場」のムードに変化が見えてきたのは、年度が変わった春以降のことである。
 2016(平成28)年6月、あるワイドショーが移転先となる豊洲市場の特集を組んだ。事前に質問状が中央卸売市場(都内の11市場を統括する局組織。以下、「市場当局」と表記)に届けられ、所管の課長が取材に丁寧に応じていた。が、放映された内容は豊洲市場がいかに使い勝手が悪い欠陥市場であるかをあげつらうものだった。取材に応じた課長のコメントも都合よく切り張りされて使われた。
 前後してマスコミ各社も豊洲市場に目をつけはじめた。豊洲市場はどうもヤバいらしい。取材が徐々にヒートアップしていく。その延長線上に、偶然なのか必然なのか、都知事選が待ち受けていた。5月、6月のワイドショーは舛添知事の公金不正利用問題で持ち切りだった。頭は良いがとことんセコい、このいじりやすいキャラがお茶の間の失笑を買っていた。
 きっかけは週刊文春の一連の報道、いわゆる文春砲だった。「公用車で湯河原の別荘通い」とのスクープ記事はSNSによる拡散も手伝って、ワイドショーのキラーコンテンツと化していた。とはいえ、公用車問題以外は、公費で中国の書道具やクレヨンしんちゃんの絵本を購入しただとか、みみっちい話のオンパレードだった。
 舛添知事にはワイドショーの視聴者が見えていなかった。毎週金曜の定例記者会見でも、小理屈をこね回してムキになって説明するものだから、視聴者の反感と不信感はいやが上にも増し、辞任に追い込まれるのは時間の問題だった。
 だがしかし、自民党東京都連は、本人が望んでいるなら8月のリオ五輪閉会式でのフラッグ・ハンズオーバー・セレモニー(次の開催都市への五輪旗受け渡し式)まではやらせよう、と余計な情けをかけた。これがいけなかった。辞任の時期をずるずると先延ばしして世論を完全に敵に回した。6月15日に舛添知事が辞職願を東京都議会議長に提出した後も、自民党は後任選びでモタつく。いつものこととはいえカッコが悪い。アイドルグループの父親の名前も候補者として飛び出し、案の定、後任選びは迷走した。
 これは断言してもいいが、自民党東京都連は自分たちで都知事候補者を決められない団体である。あるいは、決めてもパッとしない候補者しか選べない団体である。鈴木俊一が四選を果たした1991(平成3)年の磯村尚徳しかり、青島幸男が初当選した1995(平成7)年の石原信雄しかり、石原慎太郎が初当選した1999(平成11)年の明石康しかり。大衆の望む虚像とはおよそ縁のない、真逆の地味なおじさん候補者たちばかりだった。
 ここは一度立ち止まってこうした自民党東京都連の構造的な欠陥を見透かし、間隙を突いて動いたのが小池百合子だった。東京都知事選挙告示日わずか3日前の7月11日、小池候補は都庁会見室で崖から飛び降りてみせた。
 そして出馬会見後のぶら下がり取材に応じた彼女は、築地市場の豊洲移転問題に関して「なかなか豊洲に移らないのはむしろ跡継ぎの問題」と、なんとも的外れな返答をしている。確かに事業者の高齢化や後継難は課題としてあったが、のちに世を騒がせる豊洲市場の安全性や整備費問題から比べれば枝葉末節の事柄にすぎない。小池候補は7月17日に実施した豊洲での街頭演説の際にも市場移転問題には一切言及しなかった。
 選挙戦の序盤、市場移転問題への認識が希薄な小池候補を尻目に、むしろ豊洲市場用地の液状化や土壌汚染問題を理由に移転中止や一時的な移転もあり得ると明確に主張していたのは鳥越俊太郎候補であった。この段階では、反対派の情報は小池陣営よりも鳥越陣営に持ち込まれていたとみることもできるし、少なくとも小池陣営は市場移転問題を明確に争点化し切れていなかったのであろう。
 ところが、そんな小池候補の言動がある日を境にガラッと変わる。同月22日の朝、小池候補は民放のワイドショー番組に、増田寛也、鳥越俊太郎両候補とともに生出演した。オリンピック・パラリンピックと比較する文脈の中で「築地市場も東京の宝」という表現を使った。そしてこの発言の直後、小池候補は初めて市場移転問題で一歩踏み込む。
 「まず、市場関係者の方々から直接話を聞いたうえで、答えを出していきたい。お話次第で延期もあり得る。その可能性もある」
 そう発言した小池候補は、テレビ出演の数時間後、築地四丁目の交差点に立っていた。街頭演説ではこれまでとは打って変わって市場移転問題の核心を雄弁に語った。卸売市場法に基づく農水大臣の移転許可、土壌汚染対策法による形質変更時要届出区域の指定解除、さらには豊洲市場の使い勝手の問題にも言及し、フォークリフトなどが十分に使えないこと、濾過海水の問題、道路によって鮮魚と青果が分断されている豊洲市場の状況、買い回りの利便性の課題などなど、問題点を立て板に水の勢いで指摘しまくり、「そこで私は提案させていただきたい」と切り出した。
 「ここは一度立ち止まって考えるべきだ」
 演説が終わると、市場移転に反対する「躍進する市場の会」の関戸富夫会長が小池候補に要望書を手渡し、開場時期の見直しを訴えた。これに対して小池候補は「ここはいったん立ち止まって、みんなが納得する結論を出したい」と即座に応じた。
 何という変わり身の早さであろうか。
 態度が曖昧だった選挙戦序盤から7月22日までの10日間に、小池陣営で大きな方針決定が行われたのは確実だ。おそらくは市場移転問題を巡って突っ込んだ議論が行われ、選挙の争点とした場合の利点や選挙後もにらんだ戦略が念入りに練られていったと見るのが自然である。たとえ情報源が偏っていたとしても、である。
 選挙期間中、小池陣営内で重大な動きが進行していることなど知る由もない市場当局は、11月7日に迫った豊洲市場開場日に向けて準備を急ピッチで進めていた。都知事選投開票日の前日に当たる7月30日土曜、豊洲市場開場100日前イベントが豊洲市場の水産卸売場棟で華々しく開催された。市場当局の職員は誰一人として百日後の移転を信じて疑わなかった。嵐は突然やってくる。そして、やってくるまで誰にもわからない。
 明けて7月31日午後8時ジャスト、テレビ各局は一斉に「小池氏当選」を速報した。崖から飛び降りると大見得を切ってからわずか21日目の快挙。得票数291万票、いずれの対抗馬も足元にも及ばぬ、まさにぶっちぎりの大勝利だった。

初会見

 初登庁の日の午後、さっそく記者会見が開かれた。
 「第20代東京都知事に就任いたしました小池百合子でございます」とあいさつした知事は、冒頭で「都政改革本部」の設置を表明し、改革本部の下に「情報公開チーム」と「オリンピック・パラリンピック調査チーム」を置くことを明らかにしたが、市場移転問題への言及はなかった。
 8月3日。
 市場当局が第一庁舎7階の知事執務室に呼ばれた。知事からは、築地市場業界とのこれまでの協議回数、反対派の主張、店舗が狭くマグロが解体できないとされる件、ろ過海水の使用方法、地下水モニタリングの次回結果の時期など、極めて専門的・個別的かつ具体的な質問がなされた。
 通常であれば、就任直後の知事に対しては、各局が順次、事業概要や予算・組織など基本的な事項を説明する。重要案件を説明するにしても、ここまで重箱の隅をつつくような質疑が行われることは極めて稀である。就任早々、知事は事前に十分な準備を積んだ上で市場移転問題に突っ込んできたのである。
 8月5日。
 週末の金曜、小池知事にとって初めての定例記者会見が開かれた。当然、記者からは質問が相次いだ。「いったん立ち止まるとのことだが、11月7日の移転日をずらす考えがあるのか」とある新聞記者が質問すると、知事は「すでにオンゴーイング(現在進行形)の話だが、何ができ、何ができないのかを見極める。築地の方々から話を聞く時間を設けたい」と反対派・推進派あるのかないのか、市場関係者の動きが俄然慌ただしくなる。8月10日、「築地市場・有志の会」及び「守ろう!築地市場パレード実行委員会」のメンバー約20人が都庁7階知事室前に集まり要望書を提出し、数か月の移転延期や補償の検討など4項目を要請した。12日には、築地市場関係者との意見交換・ヒアリングが各団体30分、非公開で実施された。
 反対派・慎重派の3名(関戸富夫氏・躍進する市場の会、三浦進氏、鈴木章夫氏・築地場外市場商店街振組合理事長)は、物流の非効率性や交通アクセスの不便さ、店舗スペースの狭さなど、豊洲市場の問題を口々に訴えた。土壌の安全性への言及もあるにはあっ答えた。
 各社からの質問は切れ目なく続き、16番目にやっと指名されたひとりの記者がいた。フリーの横田一記者である。築地関係者の納得が得られなければ延期もあり得るのかとの横田記者の問いに対して、知事は反対する方々の声も聞く、いろいろな声があるうちは都民の本当の納得にはつながらないと返答。「延期はあり得ると理解していいのか」との二の矢に対し知事は「仮定の話」と軽くかわした。横田一記者の名前はひとまず記憶の片隅にとどめておいていただきたい。

ドクターK

 たが、専ら自分たちの商売上の使いにくさを言い募っている点が興味深い。一方、推進派の築地市場協会の代表者3名(伊藤裕康氏・築地市場協会会長、伊藤淳一氏・東京魚市場卸協同組合、泉未紀夫氏・築地商業協同組合理事長)は、次世代のことを考えて移転を決断したのであり、移転日の変更は大きな混乱を招くと主張し、不安払しょくのために安全宣言を、と迫った。
 これに対して小池知事は「これから農水大臣と話を進めて事実上の安全宣言を」と返答した。小池知事の頭の中では当初から「安全宣言イコール農水大臣認可」であって、知事自らリスクを取って安全宣言することは念頭になかったことをうかがわせる発言である。
 この先、知事は幾度となく自身による安全宣言を各方面から求められるが、最後の最後まで言を左右にして煮え切らない態度をとり続けた。就任1か月目にしてその兆候は表れていたことになる。
 築地市場の事業者、業界団体との意見交換を終えた知事は、その日の会見で移転延期について問われると、「まさしく総合的な判断をする」と応じるにとどめた。 

Gブリ

 週明けの月曜、市場当局からGブリが実施された。Gとはガバナーの頭文字で、都庁内では知事を暗喩する。ブリはブリーフィングの日本語的な略。ふたつの言葉を組み合わせたGブリとは、都知事に対する報告・説明を意味する都庁内業界用語である。
 この日のGブリで、卸売市場の仕組みや財政・予算、組織など基本的な事項に加え、豊洲市場の整備事業費の推移、千客万来施設、築地市場の跡地処分について説明を受けた知事は、翌16日火曜、お盆休みの築地市場を初めて公式に視察した。
 午後1時半、正門から入ってまず勝どき立体駐車場の7階屋上から全体を俯瞰した。薄もえぎ色のスーツを着込んだ知事の横には説明役の築地市場の場長がいた。その後、知事は水産仲卸売場の一部を徒歩で移動し老朽化の状況を確かめ、青果部2階駐車場で一部アスベストが露出している状況を確認したのち、青果門から退場した。正味30分間だった。
 豊洲市場には午後2時半前に到着。六街区水産仲卸売場棟、七街区水産卸売場棟、五街区青果棟の順で視察を行った。水産卸売場では、大柄な新市場整備部長が知事に説明する様子がニュース映像で確認できる。
 知事から少し離れたところには、書類がいっぱい詰まってずっしり重たそうなグレー色の鞄を手にぶらさげた知事最側近の小島顧問や所在なげにたたずむ中西副知事の姿もあった。
 視察後のぶらさがり取材で小池知事は豊洲市場の整備費に言及。もともとの予算から5800億円に変わってきている、どうしてこんなに膨らんだのか確認されなければならないと批判の言葉を口にした。前日の知事説明資料には、豊洲市場の整備事業費が平成21年2月の当初計画4300億円から平成28年度5800億円へ推移したと明示されていた。前日のGブリがストレートに反映された発言だった。
 翌8月17日、市場当局は急きょ知事に呼び出された。開場に係る業界団体との契約書の有無、市場の利用についての事業者との賃貸契約の有無を確認するものであった。業者との契約……市場の設置者である東京都が決定する行為や場内の使用指定・使用許可といった行為を契約行為と同等にとらえようとする知事の姿勢は、行政を預かる市場当局にとっては困惑の種であった。

リオ出張

 東京で小池知事サイドがある目的に向かって着々と情報収集を進めていたちょうどそのころ、地球の裏側ではオリンピックが開催されていた。リオデジャネイロ五輪の大会期間は8月5日から21日まで。知事は閉会日のフラッグ・ハンズオーバー・セレモニーに出席する必要があった。
 初登庁からリオ出発の18日までの2週間に、知事は市場当局から精力的に説明を受け、築地市場事業者との意見交換や築地市場と豊洲市場の視察など、ハードスケジュールをこなした。2日に1回は貴重な時間を市場移転問題に割いた勘定になる。東京オリンピックに向けての準備や待機児童問題、人口減少・少子高齢社会への対応など重要課題が目白押しの都政にあって、市場移転問題に費やした時間と労力の多さは異様に映る。
 さらに、8月18日から24日までのリオ出張中は、小池知事に代わって特別秘書や顧問らによる集中的なヒアリングが頻繁に実施された。
 特徴的なのは、豊洲市場に関する事項だけでなく、築地市場の跡地利用計画の有無についての質問もあったという点である。邪推すれば、政権始動期に既に、築地再開発と言う最終目的が組み込まれていたことになる。さらにもうひとつ、知事サイドが持ち出してきた論点があった。それが豊洲市場の土壌汚染対策についてである。2年間の地下水モニタリングの検査結果が出る前に開場するのはルール違反ではないか。区域指定解除のための2年間モニタリングが法律的に必要なかったとしたら実施しなくてもいい土壌汚染対策になぜ大金をかけたのか、住民訴訟にもなりかねない等々、環境法令に精通していなければ到底発し得ない質問ばかりであった。地下水モニタリングについては別途説明する。

SSと顧問

 ここで特別秘書と顧問について一言触れておきたい。条例では知事専任の秘書を2人以内で指定できるとされている。通常、特別秘書と呼ぶ。スペシャル・セクレタリーの頭文字を取ってSS(エスエス)と略称することが多い。決してヒトラーの親衛隊のことではない(が、まあそんなものだと言えなくもないが……)。年俸は1400万円を超える。石原都政時代の浜渦SS(のちに副知事)がつとに有名である。
 片や、東京都顧問の役割は「都政運営のあり方について助言・進言を知事に行う」ことと定められている。知事就任後の一か月ほどの間に10名以上の顧問が矢継ぎ早に任命された。あまりの多さにいつまで経っても顔と名前が一致しない顧問が何人もいた。
 当選直後から都庁内には妙な噂が流れていた。小池知事のブレーンに大阪方面で名を馳せた人物や、国のある省庁で事務次官になれなかった元キャリア官僚の名前が取りざたされていた。このふたりは顧問団の中でも重責を担うことになる。
 以下、個人が当然に特定される場合を除き、顧問を総称して「ドクターK」と表記することとしたい。ドクターKは、単独でも複数形でも使用する。特定の人物を示す言葉ではないことをお断りしておく。
 8月を通じて(特に知事がリオ出張中)、市場当局はドクターKからの質問攻めにあった。ある時はプランBの検討を求められた。プランAが予定通りの11月7日移転、プランBとは移転を延期した場合の対応策のことである。延期の理由、開場日を再設定する場合の条件整理、市場関係者が被る損失・損害への対応、信頼回復の方策など、極めて具体的な事項が列挙された。
 また、あるとき、あるドクターKが市場当局にこんなことを漏らしたとも伝えられている。
 「移転延期は2月か5月の選択肢がある……」
 もしこの発言が本当なら、2016(平成28)年8月時点では、11月7日の開場を延期した場合でも延期の期間はせいぜい半年程度で、翌年の2月か5月には豊洲市場を開場する腹積もりだったことがうかがえる。
 ここまでの知事サイドの動きを総括すれば、知事の意を受けたドクターKらは、8月の政権発足時点から市場移転延期を所与のものとして様々な論点整理を行い、そのための基礎情報を市場当局を通じて収集していた。しかも、移転延期はせいぜい長くて半年、つまりは短期決戦。ダラダラと移転を先延ばしするつもりなど毛頭なく、一気に問題点をあぶり出し、一気に敵を叩いてけりをつけ、一気に成果を上げる。政権発足直後の大手柄を狙って万端の準備を進めていたのは、ほぼ間違いない。

有事という認識

 ブラジル現地時間の8月21日、雨のエスタジオ・ド・マラカナンで五輪旗を大きく振った和装の知事は日本時間25日に帰国、直後に市場に関するGブリが行われた。この日は地下水モニタリングに関連して環境局が、環状第二号線に関連して建設局が同席した。
 環状第二号線とは、江東区有明から新橋、四谷を経由して神田に至る都市計画道路である。地図に落とすと「?」マークを左右反転したような形状の道路である。略称、環二、「カンニ」と呼ぶ。途中、築地市場用地を突き抜けるため、市場移転問題と密接不可分な関係にあった。
 もし市場移転が延期された場合、環二の完成が大幅に遅れることは、八月の時点で建設局から知事に詳細な説明が十分になされていた。知事は建設局の説明に対して「環二の工事はどうなるの? できないという返事はいらない」と厳しい注文を付けた。リオ帰国後はじめての定例記者会見で知事は、豊洲市場の安全性の確認を強調し、さらに2年間モニタリングの終了前に開場することに大きな疑問がある、お構いなしに日程を決めたのはいかがなものか、と市場当局を強く批判した。
 政権発足当初の1か月間、知事とドクターKらは明確なターゲットと壮大な見取り図を描きながら様々な疑問・質問を市場当局にぶつけ、「裏取り」に余念がなかった。市場当局は相手の意図を深読みする余裕もなく(予定通り11月7日に移転することを前提に)最低限の誠意をもって真摯に説明を重ねた。結果、築地市場の豊洲市場への移転に関する課題・
 論点は8月末の時点でほぼ出尽くした。言い換えれば、知事サイドはオールマイティーのジョーカー1枚を隠し持ったまま、手持ちのカード(問題認識)すべてを市場当局に対して惜しげもなく披瀝していたとも言える。
 それに対して、市場当局の対応は場当たり、その場しのぎ、個別的反応に終始し、組織を挙げて戦略的に対応した形跡は残念ながら見当たらない。あとから目線で振り返れば、そういうことになる。市場当局に決定的に欠けていたのは何か。「有事」だという認識だったのではないか。小池知事当選の瞬間から、都庁、なかんずく市場当局は有事に突入していた。大げさだと思われるかもしれないが、事実そうだったのだ。が、平時の状態に慣れきった組織はそう簡単には切り替わらない。外部から想定外の問題点を矢継ぎ早に投げつけられたとき、当の組織はその真意を理解できず、または理解しようとせず、あるいは問題を矮小化して、組織として十分な対応を怠る傾向にある。これが人間組織の習性であり、市場当局も概ねこの基本法則に則って「適切に」対応したに過ぎない。
 当時の市場当局にも言い分はあるだろう。突然、嵐のように襲ってきた正体不明の相手に対して局面局面では精一杯の対策を講じたのだ。そうするしか手立てはなく時間も人も足りなかったのだ。これ以上何をすればよかったというのだ、と。
 しかし有事であるとの認識の欠如はこの先、過大なつけとなって長く重く市場当局にのしかり、組織と職員に深いダメージを負わせることになる。

地下空間劇場

移転延期表明

 8月の最終日は水曜だった。31日午後1時30分、知事は緊急記者会見を開き、築地市場の豊洲市場への移転を延期すると表明した。
 「11月7日に予定されております、築地市場の豊洲市場への移転については延期といたします。また、11月2日に予定されております築地場内市場の閉鎖、およびその後の解体工事も延期とさせていただきます」
 「小池都政では既定路線は通らない」とした知事は自らパワーポイントの資料を説明し、延期の理由を安全性への懸念、巨額で不透明な費用、情報公開の不足の三つだと断定した。
 土壌汚染の安全性については、小島顧問を中心に「市場問題プロジェクトチーム」を立ち上げ、2年間の地下水モニタリングの結果を確認してから判断するとした。加えて、巨額の費用に関して建設費だけで2700億円余は異常に高い、その理由を私も知りたいと、第三者の目線で批判の口調を強めた。会見後の午後2時過ぎから詳細な説明がプレスに対して行われた。説明者は小島顧問だった。
 同日午後4時、一般社団法人築地市場協会が会見を開き、豊洲市場への移転延期再考を知事に要望した。
 水産卸の伊藤会長は「今回の要望が受け入れられなかったら、大きな混乱となる」と危機感を露わにし、青果の泉理事長は「大変クレバーな知事が大変クレバーな表明をされたが、残念としか言いようがない」と泉理事長特有の言い回しで知事の言動を揶揄した。
 困惑が市場関係者の間で一気に広がった。その一方で、知事の移転延期表明によって移転反対を唱える人々は俄然勢いづいた。移転延期の発表によって、寝た子が起きたのだ。いや、海底に眠っていたゴジラが目を覚ましたと表現したほうがいい。ことの重大さに多くの関係者が身震いするのはまだ少し先のことである。

土曜の緊急会見

 九月九日金曜夜、市場当局の管理部長のケータイが鳴った。市場当局のトップ、岸本市場長からだった。
 市場長へは特別秘書から直電が入っていた。豊洲市場の建物下に空間があるかどうかを至急調べよとのことだった。市場長の指示には一分一秒を争うひっ迫感があった。
 残業で残っていた職員は何のことだか要領を得ないまま、総出で豊洲市場の関係資料、主に設計図を片っ端からあさった。建物の断面図には確かに地上から下の部分に空間らしきものが明記されていた。
 同時刻、広報担当課長にも別ルートで同様の情報がもたらされていた。情報源は複数の記者からだった。記者たちは特別秘書から連絡を受けていた。地下空間は本当か、と詰問されても、知らないものは知らないとしか答えようがなかった。
 管理部総務課のある第一庁舎南側39階の1階下には豊洲市場を建設・管理する新市場整備部が臨時で陣取っていた。元来、新市場整備部の職場は築地市場にあった。緩やかに湾曲した事務所棟の2階に築地市場の事務室、その斜め上の3階の細長いスペースが彼らの本拠地だった。
 都知事選の最中から、移転反対派が豊洲市場を問題視し、水産仲卸売場の店舗の間口が狭い、包丁が使えないと主張。ワイドショーがこれに食いつき、連日の報道となっていた。8月に入ると豊洲市場に関する知事説明が続き、そのたびに資料の作成や事前の市場長説明の機会が急増した。
 38階フロアのわずかな空きスペースに資料の山と20名前後の部隊が詰め込まれ、さながら野戦病院と化していた。9月9日の夜も、地下空間をめぐるやり取りが階上の総務課との間で頻回に行われた。こうして市場長の指示による確認作業は明け方まで続いた。
 日本共産党都議団が週明けにも緊急会見を開くらしい。知事サイドがこの未確認情報に接したのは9日金曜の午後だった。豊洲市場の建物下には土壌汚染対策の一環として全面的に盛土がされているはずだが、実際は巨大な空間が存在している。共産党は会見でこの新事実を白日の下にさらそうとしているというのである。
 知事サイドの動きは速かった。共産党の動きに先んじて翌10日の土曜に緊急会見を開くことを即決した。土曜の会見など例外中の例外、前代未聞のことだった。
 明けて、9月10日土曜午前。
 中西副知事室のドアは固く閉ざされていた。中央卸売市場を担任する中西副知事は前日の深夜、すでに記者会見を所管する部局に指示を出していた。副知事室の中には市場長以下、市場当局幹部が集合していた。
 知事への説明資料を徹夜で準備して待機していたが、知事が緊急会見でどんな資料を使うのか、事前にまったく知らされていなかった。
 午後5時、緊急記者会見が始まった。知事は「豊洲市場の青果棟、水産棟などにおいて、4.5メートル盛土がなされていないのではないかという疑問が出てきた」と表明。豊洲市場の地下空間の存在を東京都が初めて公式に認めた瞬間だった。そのうえで、「専門家会議の平田先生にもう一度改めて聞く必要がある。
 小島PT(市場問題プロジェクトチーム)にはセカンドオピニオンの役割を担ってもらう。急がば回れで安全性の確認をしっかりとしていきたい」と発言した。急きょ会見を開き「地下空間」の存在を共産党に先んじて公にしたことで、知事サイドは共産党の目論見をつぶすことにひとまず成功した。肉を切らせて骨を切るがごとき殺法である。が、本当の意味で一撃のもとに切られたのは知事サイドでも共産党でもなく、市場当局に代表される都庁の官僚組織そのものであったことを忘れてはならない。

もうひとつの会見

 9月12日月曜。
 午前11時過ぎ、7階大会議場に関係各局が招集された。土曜の緊急会見で知事が「週明けに関係局を集めた上で指示をする」と発言したことを受けての緊急会議だった。中央卸売市場、環境局、建設局、オリンピック・パラリオンピック準備局、それに官房3局(政策企画局、総務局、財務局)の計7局の局長たちが神妙な面持ちで知事の到着を待っていた。
 この時、環境局が出席を求められたのは、豊洲市場の整備に当たっての環境影響評価、いわゆる環境アセスを所管していたからである。2010(平成22)年11月に事業者である東京都中央卸売市場から環境局に提出された「環境影響評価書案・豊洲新市場建設事業」には、「土壌汚染対策の概要」として豊洲市場用地の断面イメージ図が添付されている。きれいな土と入れ替える2メートルの層及びきれいな土を盛る2.5メートルの層があり、その上をアスファルトが覆っていた。
 市場の建物はアスファルトと同じ厚さの「コンクリート」と表示された薄い帯の上にちょこんと乗っかるように描かれていた。もちろん、地下空間はどこを探しても見当たらなかった。環境局の立場は、事実と異なる内容(「敷地全面に盛土」とされていたにもかかわらず、実際には地下空間が存在していた)の環境影響評価書案を市場当局から受け取った被害者のようなものだった。確かに嘘を見抜けずアセスを通してしまった責任はあったものの、環境局次長の私にしてみれば、所詮は他局が持ち込んだ厄介ごと程度の認識しか持ちあわせていなかった。
 知事からは「都政にとって重大な局面。誰が盛土をしないと判断したかを調査する」とこわばった表情で指示があった。2008(平成20)年7月で活動を終えていた専門家会議(正式名称・豊洲市場における土壌汚染等対策に関する専門家会議)の再開も決められた。座長は当時も座長だった平田建正氏、そのほかも同じメンバーが指名された。
 同日午後、日本共産党都議団が予定通り会見を開いた。共産党には、小池知事に先を越された悔しさはあっただろう。だが、会見で明らかになった情報の確度は知事会見の比ではなかった。尾崎あや子議員が掲げた大判のパネルには、豊洲市場水産仲卸売場棟の地下空間の写真が大写しされていた。薄暗い空間の底面は水で覆われ、黒光りして見えた。
 「深さ一・二センチの水があふれている」
 尾崎議員は人差し指を水面に差し込むしぐさを交えて説明した。パネルには「2016・9・7日本共産党都議団撮影」とクレジットが付されていた。つまり、知事が土曜に緊急会見を開いた3日前に現地で撮影されたものということだ。逆算すると、9月7日、共産党が豊洲市場を視察し、地下空間に入って写真を撮影、この動きを何らかのルートで察知した知事サイドが九日夜、市場当局に事実確認を指示。翌10日土曜、異例の緊急会見を開き共産党の動きに先手を打った。……
 すんなりつながる。が、疑問が残る。
 なぜ共産党は9月7日に地下空間の写真を撮影できたのか。そもそもなぜ「ないはず」の地下空間の存在を知っていたのか。地下空間は市場内をふらふら歩いていただけでは気づかない。市場の係員に誘導され、メンテナンス用の階段を下り、施錠された鉄製の扉を開けなければ、地下空間の内部には入れないのである。

平成が終わろうとしていたあの頃、東京のみならず日本中を巻き込んだ築地市場の豊洲市場への移転問題。あの騒動は一体、何だったのか。小池都政最大の謎を、当時、知事の言動をつぶさに見聞した中央卸売市場次長が小池知事の肉声を交えて解き明かす驚愕の内幕。ブレまくる知事、暗躍する知事側近、錯綜する関係者の思惑・・・・市場移転問題の真実はどこだ?
 本書の続きをお読みになりたい方は、お近くの書店か、弊社(別途送料、1冊180円)にご注文下さい。 弊社にご注文の際、代金前納の場合は送料無料です(振込手数料はご負担をお願いします)。下記の金融機関にご入金後、弊社にメール、電話、FAXにて、書籍名、お名前、ご住所、電話番号、メールアドレスをご連絡ください。
単行本:272頁
定価 1,870円(税込)
ISBN978-4-88614-256-6 C3036
みずほ銀行 新宿新都心支店 (普)2302264
メール:shuppan@toseishimpo.co.jp
TEL:03-5330-8788  FAX:03-5330-8904

※Amazonの在庫が切れていても、在庫がある場合があります。本社出版部までお問い合わせください。高額の中古品にご注意ください。


よろしければシェアもよろしくお願いします。
おうち都政新報
都政の専門紙『都政新報』(毎週火・金曜発行)の記事を自宅(おうち)でも読めるよう『note』に一部の記事を掲載しています。読みたい記事のリクエストがあれば、お寄せください。 (定期購読の方は「都政新報電子版」をご利用ください) 【株式会社都政新報社編集部】