縁、そして命を選ぶということ
前回のnote から少し時間が空いてしまいました。
トサノコージです。
今回はここ1.2ヶ月の間に自分に起こったとある出会いと、生活の変化について書いてみたいと思います。
いつもの写真に関する話題とは全然違って「猫」に関する話です。
なにかと猫という動物に縁のある私の人生ですが、今回も不思議な偶然の積み重なりが、とある猫との出会いに繋がりました。
無類の猫好きでして、これまで2回猫を看取ってきた自分。
それぞれをnote にて記事にしたこともあるのですが、今回は新しいスタートとなりますので、その記念というか、初心を忘れないようにと言うことで記事にします。
お付き合いいただければ幸いです。
猫を拾った、という妻からのライン
2024年、5月後半に突然妻からこんなメッセージが
解説すると、家の賃貸は我が家のある一階よりも半階分地下にドライエリアのような場所があって、一階庭の草むら部分から子猫がそこに落ちてしまった模様。 高さ的に親猫が降りて救うことも難しい。
で、妻が親猫のいる目の前でその猫の首を掴んで親猫の目の前に差し出したら去っていった、ということ。
子猫のうちに人間が下手に触ると親猫が人間の匂いのついた子猫の育児を拒絶するようになる、という話もきくけど、状況を察するに助けてあげないとどうにもならなかったと思うので、「妻は良いことをしたな〜」と思ってその話はそこで一旦終わった。
以前にうちに住んでいた猫が亡くなって約一年が過ぎた梅雨の少し前の時期だった。
これがまた、新たな縁の始まりになろうとは、この時には思いもしなかった。
定期的に聞こえる猫の声
それからは本格的に母親猫であるラブ(仮名)が子育てを始めたのか、たまに子猫の鳴く声が聞こえ、遊ぶ姿を家の周囲で見るようになった。
だいたい見る姿は親猫ラブと、その子供ポテト(仮名)だった。あとは人の気配を感じるとすぐに身を隠し、顔を見せてくれない背の黒い子猫。
妻の助けたのは背中が真っ黒だったということなので、この臆病猫かな?と思っていたが、写真を撮る前に姿が見えなくなるので、確認のしようもなかった。
梅雨前だというのに、頻繁に豪雨の日もあって、この猫家族のことを心配していたんだけど、自分には捕獲する技術も無いし、中途半端に餌を与えたりするのも地域にとって良くない。
自分はただ、たまに見ているだけの傍観者となっていた。
悪天候から数日たち、久々に姿を見る度にホッとしていたんだけど、そこから3週間後、偶然の出会いによって生活が変わることになったのだ。
偶然、ボランティアの保護現場に立ち会う
まあ、見出しのまんまなんだけど、忘れもしない今年の七夕、7月7日に仕事を終え、帰ろうと夕方前に自宅の前を通ったらなにやら人が3名ほど集まって何かをしていたのだ。
足元に置かれた袋には猫のご飯、そして大きな布を被せられた箱状のケースが2つ。
直感的に理解した。
ああ、猫の保護を目的とした人たちなのかな?
と。
これも何かの縁だ。
自分にできることは協力しよう、と思って申し出た。
そこからは数時間、周囲を見回ったり、ご飯を入れた捕獲ケージの様子をみたり、我慢の時間だった。
猫を待ちながらそのボランティア団体の人達と色んな話ができた。
ボランティアとして地域の猫の様子を見守り、必要に応じて保護、手術をしたりなどしているということ。そして、可能な限り猫たちの安心して住める家を探しているということ。
その知識量が半端なく、まるで地域にいるすべての猫の様子を把握しているかのようだった。
話を聞くと、ラブやポテト、その兄弟たちも生まれた頃から把握していて、子猫の成長の時期的に今回の保護を決めたとのことだった。
さっきから出てくる猫たちの名前は別に自分がつけたわけじゃなくて全部このボランティアの人達が仮名としてつけたものなのだ。
子どもたちの父親はどうやら小豆、という白黒らしい。
もしかしてこの猫ですか? と以前に家の近くで見つけた猫の写真を見せたら「そうそう、この子。全く保護ケージに入ってくれなくて、保護できないんですよ〜」とのこと。
町の掲示板なんかに「メンバー募集中」なんて書かれているのをたまに見ていたが、保護ボランティアの人が活動しているのに今回初めて触れて、色々と勉強になった。
とりあえず、この地域で無闇に野良や地域猫の頭数が増えないのはこういった人たちの活動による賜物らしい。
これは色んな考え方があるのだけど、野良猫を放置して子供が生まれ放題にしておくと、キリがなく、外のつらい環境にさらされたまま最期を迎える猫が多くなるのは想像に難くない。
それほどまでに外での生活は酷、なのだ。
たとえ自然に反していても、一旦保護して避妊手術をして地域猫として町ぐるみで見守るか、屋根の下でくらせるように里親を探してあげた方が猫にとっても幸せなんじゃないかな、と自分は思っている。
そもそも猫自体に興味がない、もしくは嫌いな人すらいるだろうから、猫が外にいることにさほど意味はないのだ。
あくまで個人的な意見である。
ちなみに、子猫はすでに2匹保護されていたようで、前述のポテトと白黒のソラという猫らしい。
残すは親猫のラブとできれば小豆だけかな? と思っていたら、実はもう一匹子猫がいるらしい。
その子は背中が黒く、臆病な性格でたまたまラブといるところを発見できたので「ラッキー」と仮名がつけられていた。
などと、色々と話したり、考えていると突然離れた場所から「ガシャ!」と大きな音が聞こえた。
捕獲ケージに誰か入ったのかもしれない。
急いで確認に向かった。
黒い背、口元の髭模様
怖がらせないために布を被せられた捕獲ケージ、それを持つと確かに中に動物の重みを感じた。
怖がっているのか、さほど暴れたりはしないらしい。
どの子が保護できたのだろう?
電灯のある場所でそっと布をもちあげてみた。
頭まで真っ黒な背中、ハチワレ猫のラッキーだ。
口元の模様を見るに、小豆が父親なのも納得だ。
そして、自分はこの子をみた瞬間、4年ほど前までともに暮らした愛猫「優雨」のことをふと思い出してしまった。
目の辺りのハチワレっぷりもよく見たら違うし、顔つきはそんなに似ていない、けど、口元の髭模様と優雨を熊本の愛護センターから引き取った時もこれぐらいの大きさだったので、何故か「似ている」と思ってしまったのだ。
縁を感じた。
一月前に妻が助けてあげたのはこの子なんじゃないかな?
なんとなくそう感じて、写真を送ってみた。
「あ、この子だ」
やっぱり。
そこから、ラブも保護できないかと粘ってみたものの、まったくケージにはいってくれなかったのでその日は終了。
保護された猫たちがどこに行くのか、あらかじめ聞いていたのでその場で約束してしまった。
「近いうち、会いにいきます」
と。
命を選ぶ、ということ
さて、そこからの展開は早く、「近いうち」 などといいつつも3日後にはもう保護された場所に子猫たちに会いにいってしまった。
保護ボランティアの方の自宅兼職場のようで、多くの猫たちがそこから病院に通い、新しい住処が決まるのを待っているようだった。
ただ、たまに外にいる猫を愛でて喜んでいる自分とはちがって、明確に猫たちにとっていい生活をさせてあげたい、という気持ちや行動。
こういうボランティアの人達の行動に頭が下がる思いだ。
ボランティア活動の実態がしれたのも、人たちとの出会いも、今回の猫騒動での大きな収穫のひとつだった。
自分にも手の届く範囲で何かをしようという気分にさせてもらった。
さて、猫との対面。
2週間ほど先に保護されていたポテトとソラ、時間が少し経っているだけあって、だいぶ人になれているようだった。
そして、3日前に外であったラッキー。
まだ、自分の置かれている状況が理解できず、下のカゴにいた姉妹たちと違って落ち着かない感じだった。
偶然、このタイミングでfacebook が上の写真のように「11年前の今日の投稿」的なお知らせを表示してきた
妻がフェルトで作った愛猫「うう」のぬいぐるみと撮った時のものだ。
こうして見ると身体の黒の面積も全然違って、ソラの方がむしろ似ているんだけど、なぜかラッキーの方に自分はやたら縁を感じていた。
この日はただ猫たちに会いにきただけではなくて、先住猫の「たわし」が旅立ってから一年が経過していたので、そろそろ猫を迎えても良いかなと思っていたのだ。
ここ数ヶ月「良い縁があれば」といつも妻と話していた。
初代先住猫の「うう」は熊本の愛護センターにふらっと会いに行き即日引き取るのを決定、先住猫の「たわし」に至っては突然玄関から家に上がり込んできた。
「良い縁ってなんやねん」って感じではあるが、今回、いろんな偶然がかさなってこの子達の前にいるんだから、きっとこれが「良い縁」なんだろうと思ったのだ。
そもそもだ、7月7日の七夕の日、もし自分があと15分早く家に帰ってしまっていたならば、保護現場に立ち会うこともなく、この家族はどうなったのか知らずに終わっていたことだろう。
知ること、出会うこと、それが縁なんだなと、今なら強く思う
目の前の3匹はみな姉妹だ。
自分が富豪で持ち家の住人なら、みんな引き取ってもいいのだが、残念ながらしがない自営業のこの身である。
引き取るならこのうち一匹のみ(そもそも賃貸契約でそう決まってるし)、後日に妻も連れてきて相談したのだけど、この流れでラッキー以外はあまり考えられなかった。
そして、ここが今回の記事の本題。
もっと気軽に考えれば良いはずなのに、この時に自分は「命の選択」をしてしまったと感じた。
縁があろうがなかろうが、強く感じようが感じまいが、目の前にいる3匹に優先順位をつけてしまって、選んでしまった。
平等に全員を引き取れないなら、全員を選ばないという選択肢もあっただろう、けど、その「一匹だけ引き取る」という選択をし、自分に対する責任感もしっかり感じられれば、と自分に言い聞かせた。
命を預かるというのはとてつもない責任を負うのだ。
今回縁があり、ボランティアで活動されている人たちのリアルも知れた。
自分にできることをしよう、それで良いんじゃないかな。
旅立った先住の猫たちの姿を思い出しつつ、まずは規定通り2週間のトライアルを申し出た。
ちなみに、後に残り2匹も一緒に里親が決まったと聞いて、とても安心した。
かわいかったしね。
再びの猫との生活
さて、ここからはさほど重い話もなく、我が家に現在いる猫の可愛い自慢写真だらけである。
7/15日、我が家にラッキーがやってきた。
ラッキーは仮名だったので、ひとまず自分たち夫婦はこの子のことを「ムスビ」と名付けた。
「縁を結んだ」猫であり、白黒のおむすびみたいなイメージ。
先々代、先代に続きまたしても「かぎしっぽ」猫がやってきのだが、変な曲がりかたをしてて、7の数字に見える。
妻が書いた図解によると、7をひっくり返すと「厶」の文字にも見える。
母親も父親も、姉妹たちもみんな普通の長い尻尾なんだけど、なぜかムスビだけかぎしっぽ。これも妙な縁である。
ふたりとも気軽に「ムーちゃん」と呼んでいる。
トライアルはこの記事を書いている時点で、残り6日。
もう人間目線ではすっかり家族となってしまっているのだけど、だいぶムスビも家に慣れたらしい。
十数年ぶりにスタミナが尋常じゃない子猫の面倒をみることになって、夫婦そろって寝不足と生活の変化に大きなダメージを負っているのだけど、久しぶりの元気な猫との生活も充実している(タワシは1年半ずっと病弱だったので…)
姉妹猫たちも同じ家に里親が決まったと聞き、なにより嬉しかった知らせは母親猫であるラブも保護されたとのこと。
とても賢い猫だったので、慣れれば人間と良い家族になれるはず。
ただの「猫を家に迎えた」というだけの日記的な記事の割には長文になってしまったけど、これまでの猫との生活や去り際もそうだったように、なるべく写真や文章にして記録しておこうと思ったのだ。
せっかく文章を書くなら、誰かに「こんなことがあったよ」を共有して少しでも楽しんでもらえたら良いなと思っている。
暇つぶしであったり、なにかのヒントにでもなれるのであれば、これ幸い。
XなどのSNS アカウントでは「写真撮ってる人」のイメージがあるので頻繁に猫を登場させるわけにはいかず、こちらでしっかりと記録させてもらいました。
それでは、また。
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