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ドロップアウト・ボーイズ

 車窓を強めに叩く音で息がつまるような悪夢が途切れた。
 夢の内容は途端に忘れたが、入れ替わりに昨夜のことが一挙に頭の中に押し寄せてきた。パニックになった俺は夜通し車を走らせ、明け方に家の離れにあるこのガレージに逃げ込んだ。シートを倒しもせずに寝たせいで体はバキバキだった。
「だいちゃん、起きろって」
 運転席の外で喚くのは幼馴染のキーチ。奴が助手席に回り込もうとして車体前部の異変に気づくと、俺はヤバいと思ってドアを開ける。
「なんか血ぃついてんじゃん。何これ?」
「なんでもねぇよ」
 昨日の深夜、官能小説の朗読を聴きながら片手ハンドルでシコってたときのことだ。田園を突っ切る一本道でライトの中にいきなり男の姿が浮かび上がり、俺は避け切れずにそいつを……。
「狸だべ?」
「狸だよ」
 俺は平静な顔で返し、転がっていたボロ切れで血を拭き取った。バンパーがわずかに凹んでいたが、俺のボロ車には他にも無数の傷があった。
「早く行こうぜ、釣り」
 完全に忘れていた。今日はアユ釣りの約束をしていたのだ。
 それは俺達がガキの頃から一緒にやっている恒例の行事だった。これ以上車の傷に興味を持たれたくなかった俺は黙って車を出すしかなかった。
「どの辺?」
 キーチが窓から片肘を出しながらハンドルを握って言う。奴は無免許だが、ときどき俺の車を運転したがるのだ。
「何が」
「狸轢いたの」
「忘れた」
「どうせこの辺じゃねぇの?」
 正にその通りだった。キーチがどきりとした俺に気づきもせずに外を見回したそのとき、逆側の藪から血だらけの男がよろめき出てきた。昨日、俺が轢いたのと同じ男だ。死んでなかったのだ。
「あ!」
「え!」
 けたたましいブレーキ音に、どん!というデカい衝撃。揺れる車体。
 俺達は一瞬息が止まった。
「……萩本」とキーチ。
「え?」
 キーチは前方に転がる体を黙って顎で指す。それで俺も初めて気がついた。そいつは俺達の小学校のときの担任、萩本だったのだ。


【続く】

いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。