自分より強いやつ

note内で見たのだったか忘れてしまったが、沢木耕太郎の「真のボクサーとは自分より強いボクサーがいることに耐えられず、あー、まぁがんばって練習するみたいな後半ぐだぐだだけどこんな文章が引用されてて、私としてはこれは「自分より強いボクサーがいることに「耐えて」」ではないかと。

自分より強いボクサーがいることに耐えて、「それでも」がんばると。「そこを踏ん張って」というか。あくまで自分に引き寄せて考えるとだけど、その方が身に沁みるというか。知れば知るほど、上には上がいるということとか、その中で自分にできることというのはささやかなことでしかないということとか、否応なく知ることになるので。

というのは創作について言ってるわけだけど、創作の世界にはチャンピオン制度とかないからな。あとルールというのも、スポーツのような形では、ないからな。そういう違いはあるのかもしれないが。

私はピアニストではないけど、アート・テイタムを聴くと、聴いてしまうと、ときどきこういうことをぼんやり考えます。これを聴いてしまって、まだ自分がピアノを弾くというのは、とんでもなくしんどいことだろうな、とか。

おすピーこと、オスカー・ピーターソンが、子供の頃の話だけど、テータムを聴いたら何か月かピアノの前に座ることができなくなったという話があって、そういうもんだろうなーと思うんですよね。でも、そこを踏ん張って、練習する、と。

創作の世界にあっては、こういう、なんというか、畏敬の念みたいなものは、むしろ不可欠のような気がします。もちろん、スポーツにだって自分より強いものに対する畏敬の念はあるとは思うけど、一方でランキングが誰にでも分かるように可視化されてしまうという事情があることで、いくらか形が違うのかもしらんなとか。

あとウディ・アレンの『ギター弾きの恋』の中で、「世界で二番目のギタリスト」を自称するショーン・ペン演じる変わり者の主人公が、普段どちらかというとひねくれてるのに、ジャンゴ・ラインハルトを聴いたときだけ号泣してしまう、というのも、また、彼がジャンゴその人に偶然会ったときに思わず失神してしまう、というのも、喜劇的な誇張はあるにしても、とっても分かるような気がするんですよね。


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