デュプル

 イラとミラは一人の人間として生きていた。二人いることは誰にも知られてはならない秘密だった。
 一人が家を出るとき、もう一人は必ず家に残る。それが二人が生きていくための絶対的なルールだった。別れのとき、二人はいつも玄関で舌先を軽く絡める甘い口づけを交わした。それは二人がいったん一人になるための魔法であり、再び二人に戻るための魔法でもあった。口づけと口づけの間、家に残る方は存在しないものとなるのだ。
 イラとミラは、傍目には区別がつかないほど瓜二つの双子だった。ほっそりして頬骨が高い顔立ちで、切れ長の目は少し冷たい印象を与えた。二人とも右目の下のちょうどメガネの縁で隠れる位置にほくろがあった。肩まで伸びた美しい黒髪は生まれてから一度も染めたことがなく、二人ともくすんだ色合いのワンピースを好んだ。ピアスは曜日によってつけるものを決めていた。
 イラとミラは都心のオフィスに交替で働きに出た。一日働いたら次の日は休む。片方が二日連続で働くことは決してなかった。パソコンに向かっている時間が大半の職場は同僚との交流も少なく、二人が交替で出勤していることに気づくものはいなかった。
 仕事はいつも定時に上がった。品川駅で同じ時刻の電車に乗り換え、どこにも寄らずに帰ってくる。玄関で口づけを交わすと、イラとミラは途端に頬に生気がさし、一緒に夕飯の支度をはじめるのだ。料理の手際は鮮やかだった。二人はテーブル越しに手を繋ぎながら夕飯を食べ、その日職場や外の世界であったことを共有するのだ。
 イラとミラには、二人が二人である理由が分からなかった。もとは一人の人間だったのに、何らかの不幸な出来事によって二人に引き裂かれてしまったかのように感じていた。一緒にいればいるほど、自分たちが別々の人間のはずがないと思えた。ベッドの中でお互いの性器を触りながら眠りにつくと、融け合って一人になれるような気がした。二人はよく夢の中で一つになった。目が覚めて隣を見ると、相手もまさに同じ夢を見ていたことが分かるのだ。二人はお互いを愛おしく思い、同時にそれぞれが別の身体を持っているという絶望にうちひしがれ抱擁し合うのだ。
 ある日、仕事から帰ったミラが玄関での口づけのあとイラの目をじっと見据えた。品川駅の構内でイラを見かけたというのだ。そんなはずはなかった。イラは一歩も外に出ていないのだから。それはミラにも分かっていた。だが、いくら遠目であっても見間違えることなどありえないこともまた確かなのだ。どこか釈然としないまま、その日は何をしても気持ちが通い合わなかった。
 数日後、今度はイラが仕事帰りにミラを目撃した。場所は同じ品川駅構内。ミラは部屋から一歩も出ていないし、それが嘘であるはずもなったが、イラもまた見間違えるはずはないと感じた。一瞬目が合ったような気さえしたのだ。何かおかしなことが起きている。二人は次元の狭間に落ち込んだような奇妙な感覚に捕らわれた。
 次に品川駅でイラを見かけたとき、ミラには準備ができていた。「イラ!」ミラが追いかけるとイラは逃げた。逃げ場はなく、ミラはイラを新幹線乗り場の奥の通路に追い詰めた。
「イラ、どうして」
 ミラは相手の顔を見て表情を曇らせた。そこには自分とまったく同じ顔があったが、何かが違った。そして、相手もまた自分と同じような当惑の眼差しをこちらに向けていた。「誰?」そう言ったミラに、次のような言葉が返ってきた。
「あなたこそ誰なの?」
 相手の女はソラと名乗った。ソラにはセラという双子の姉妹がいた。ソラとセラは、ちょうどミラとイラがそうであるように、二人で一人の人間として生きていた。四人は四つ子だったのだ。
 そうなると話は早かった。四人は一緒に暮らし、四人で一人の人間として生きることにした。それは双子にとって簡単なのと同じだけ、四つ子にとっても簡単なことだった。そのように思えた。ところが、居住密度が増し、情報を共有すべき相手が増えると、ささやかながらも混乱が生じるようになった。四つ子同士でも目で見ただけでは相手が誰か特定できず、いちいち口頭で確認しなければならない場面も出てきた。端的に言ってキャパオーバーだった。ストレスが溜まりはじめると、ちょっとしたことが気に障るようになった。相手が誰か確認しなければ話がはじまらないこと自体が猛烈に鬱陶しかった。
 きっかけは、誰かが保湿クリームの蓋を開けっぱなしにしたことだった。最初はイラとミラ、ソラとセラに分かれて対立したが、やがて個々人で対立するようになり、しまいには髪の毛を掴み合い、顔を引っ掻き合うキャットファイトとなった。一歩も引けを取らない互角の争いはエスカレートする一方だった。
「何がもとは一人の人間だった気がするだよ!」
 誰かからこの言葉が出たとき、四人はそれぞれ自立を決意した。もう二度とこんなやつらと一緒に暮らしたりするものか。あとには引っこ抜かれた髪の毛と方々に飛び散った血痕、そして破壊し尽くされた部屋が残った。
 それから。
 イラは自立に失敗し、何人かDV男遍歴を重ねた末に望まない妊娠をして子供を産んだ。多胎児ではなかった。
 ミラはかつて児童養護施設で自分に性的悪戯をした指導員を探し出して殺害し、メキシコに姿を消した。
 ソラはマルチ商法にどハマりし、絶縁したことも忘れてイラとミラとセラにうまい話を持ちかけたが、誰からも見向きもされなかった。金はかなり儲けた。
 セラは保育士の資格を取り、中小企業診断士の勉強を途中で投げ出したあと、イチゴ農園で働き、イチゴを摘み食いしているところを追い出された。自分の道が見つけられなかった。
 カラとロラはロシアのサーカスで双子のナイフ投げとして成功したが、ある日思い立って引退し、一人はオーストラリアでダイビングをして暮らし、一人はスパイとなった。
 カラとロラ? そう、彼女たちは六つ子だったのである。



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