平穏は信頼から、波乱は不信から

以前、恩師からいただいたメールに書いてあった言葉です。

改めて、人を信じ切ることを大事にしようと思うお話でした。

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思いっきり人間不信な私が言っても全く説得力がないかもしれませんが、平穏は「信頼」から生まれ、波乱は「不信」から生まれます。
何か問題が起こっても、信頼で結ばれているところは波に動じず、逆に全く問題がないのに、不信があるところには波が生じるのです。

基本的に、「お家騒動」などと呼ばれる経営者一族の揉め事などは、そこに原因があることが多いです。
家族なんだから、結束しやすいはずなのに、腰巾着のような取り巻きが、事実ではないことを吹き込んでいって、
「あいつが、そんなことを企んでるなんて…」
などと信用を欠くから、問題が起こります。

「自分は信用していたのに、相手は信用していなかったなんて…」
と、また相手も不信に陥ってしまい、不信のスパイラルへと落ちていくのです。

ここでもし、誰から何を言われようとも、
「俺は最初からあいつを信用すると言ったんだから、俺は最後まであいつを信用するんだ」
と経営者が信念を曲げなければ、そのような波乱は起きません。

そしてまた、その相手が、
「あの人は最初から自分を信用すると言ったから、私は最後まであの人を信用する」
と信念を曲げなければ、決してその信頼関係は揺らぐことがないのです。

どちらかの信念が折れることで、修復不能なぐらいに事態は悪化していくため、少なくとも
「自分だけは信用を無くしてはならない」
という気構えが必要です。

相手あってのことですから、相手がいつ自分を信用してくれなくなるかは、自分にはコントロールできません。

それでも、自分自身は自分自身のコントロールできる範囲で、
「自分から相手への信用を下ろすようなことはしない」
「相手からの信頼には、応えているつもりだ」
と、強く構えていなければなりません。

それが、経営者であればなおさらです。

大概の場合、
「経営者があの人を信用しなくなった」
というところから、経営の綻びが始まります。

その信用しなくなった原因は、野心家の腰巾着の言うことしか聞かなくなったとか、自分の意が暴走し始めたとか、だいたい経営者自身にあるからです。

少なくとも自分は、信用しなくてはならない。
自分が信用しなくなることで、そこに問題が生じる。
人を信じるということは、そういうことなのです。

会社経営にとっては特に、大事なことです。
今日も人を信じよう。
そうしよう。

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