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長宗我部元親 on the history 第1回「長宗我部家の出自」その2

パ:そうやって国司との結びつきを強めながら武家として、武士としてどういう風に成長していったのかという過程は今、どんな風に捉えられているのでしょうか?

野本:今、中世の研究者が昔から関心を持って、いろんな角度から調べてきたんですが、なかなか詳しいことは分かっていない。ですが、国司が住むところを「国衙(こくが)」といいますけれども、そこを守る豪族となっていたことは間違いありませんから、難しい言葉なんですけれども「在庁官人(ざいちょうかんじん)」という地元の豪族が国衙を守る役目をしていた。

長宗我部家の先祖も国衛の近くに土地を持ってますから、当然国司を守って、古代朝廷の土佐の出先機関を守る立場を取っていたんだそうで、そこがだんだんと力をつけていく、つまり武装をして武士になっていく根拠になっていく。

長宗我部家の苗字、なぜそういう苗字を名乗るようになったかという意味もそこにある。というのも中央政府が地方を抑えていく時に国郡里制(こくぐんりせい)というのを引きます。「土佐の国、長岡の郡(こおり)、宗我部の郷(ごう)」にいた豪族だから「長」の文字と「宗我部」の文字をひっつけて「長宗我部」になった。

つまり、それだけ地元に根付いて、それだけ大きい力を持っていくことになった。ですから苗字に出自の秘密、ヒントがちゃんと入ってる。

パ:そのお名前に、どこの何をしていた、どういう人たちなんだということが現れてるということなんですね。すごいですね。名前の由来といいますか。

野本:武士にとって苗字というのは地名と密接な繋がりがあるわけですね。



まとめ:
・詳しいことはわからないが、「在庁官人(ざいちょうかんじん)」という 地元の豪族が国衙を守る役目をしていた?
・「土佐の国、長岡の郡(こおり)、宗我部の郷(ごう)」にいた豪族だから「長宗我部」になった。

FM高知様 「長宗我部元親on the history」第一回はこちら

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