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長宗我部元親は晩年は覇気がないのか?その1

1 よく聞く声

「長宗我部元親は晩年暗い」「長宗我部元親は晩年狂った」「長宗我部元親は晩年覇気をなくした」「人が変わった」
こんな声をよく聞きます。いずれも原因は【嫡男信親の死】にあると口を揃えて言います。確かに小説などではそのほうがドラマ性があるので、【優秀な嫡男を亡くして人が変わった。】と描かれます。
しかし、長男を天正14年に亡くしてから、慶長4年に病で亡くなるまで約13年間何もせずただ悲しみに暮れ漫然と暮らしていたのだろうか?

2 13年間にあったこと

13年間に以下のことがあった。
1587年 惣国検地を行った。
1588年 聚楽第行幸
1589年 京に屋敷を築く
1590年 小田原攻めに参加
1591年 浦戸城へ移転を開始か?
1592年 文禄の役に従軍
    この頃から盛親に順次権限を委譲
1594年 秀吉の上杉屋敷御成に参列
1597年 長宗我部氏掟書・慶長の役
1598年 朝鮮から帰国
このように息をつく間もなく土佐国外、さらには朝鮮まで出兵している。
息子盛親を支える体制を整えるため、3人奉行体制や留守居制を整えたり、庄屋制を開始したりしている。
また秀吉直臣に対し、息子盛親を秀吉に対面させてほしいという書状を出すなど、後継者盛親のためと思われる行動を起こしている。

3 いったんのまとめ

個人的見解にはなるが、心の内はわからないものの、少なくとも悲しみに暮れてただ漫然と無気力に余生を過ごしていたようには見えない。むしろ豊臣政権下の大名として必死にやっていたかのように見えるのである。

4 参考文献

平井上総氏「長宗我部元親・盛親」ミネルヴァ書房
津野倫明氏「長宗我部元親と四国」吉川弘文館
高知県立歴史民俗資料館「史料で読み解く長宗我部」

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