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阿吽の呼吸


母の出直しから五年が経ちます。


母の最期の瞬間を見届けた時、
あらためて
このお道の教えの素晴らしさを、再認識させて頂いた事があります。


母は最期、
息を引き取る時に、大きな口を開けて、
一度だけ息を吸い込むように
「あー」
と一声言ってから、呼吸が止まりました。


あとから考えると、やはり人間は、
生まれる時にはおぎゃーと息を吐き、
出直す時には息を吸い込むようにして、亡くなるのだ…と。

なので、引き取る…というのですね。


「呼吸」と書くのも、なるほどと頷けます。


本部でのかぐらづとめでも、
月様と日様は、阿吽の呼吸で
突く息、引く息によって、
「あ」と、「うん」のお顔の形の面を被り、
心臓の鼓動のようにつとめられると聞かせていただきます。


南無というは、

月日のことなり、

阿吽のことなり、

夫婦のことなり。


そして、
突く息、引く息から、あらためて教えさせられたこと。

産まれたての赤ちゃんは、「おぎゃー」と息を吐き、
亡くなる時に息を引く。

どんなときも
吐くこと、出すことが先…。
出すから入る、出るから入る。

かぐらづとめ第一節における、くもよみのみことさまの手振りは、
前に出すお手をされています。

飲み食い出入りのご守護、の神様のお手は、
入る方でなく、出す…なんですね。

身体の中も、
心も、
お金も、
物も、
恩も、
人情も、

すべて
先に出してこそ入る、
出すことで与えられる 

という順序があること…。



元の理…。

この教えの真髄ですね。


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