見出し画像

「清和源氏」の歴史⑲

「鎌倉殿の13人」で脚光を浴びている「清和源氏」の歴史を書いてきました。最終回では、源頼朝の血を引いた竹御所、初めて女性を主役にします。

源頼家は、若くして暗殺されたが、妻が多く子沢山だった。

1202年に誕生した娘の竹御所(たけのごしょ:本名は不明)の母は不明だが、一説には、比企能員の娘の若狭局と言われる。ドラマでトウに殺害された一幡の同母妹、実朝を殺害した公暁、栄西の弟子となったが和田の乱の残党に担がれて結局殺害された栄実の異母妹、禅暁の異母弟姉又は異母妹である。

15歳のとき、祖母の北条政子の命により、源実朝の御台所(西八条禅尼)に謁見し、その猶子となる。

政子に庇護されて成長した竹御所は、1225年の政子の逝去後、その後継者的な存在となった。幕府の権威の象徴として御家人の尊敬を集め、彼らをまとめる役目を果たした。

ちょうど北条泰時が三浦氏などの有力御家人と協調し、「御成敗式目」を編纂していた時期と重なる。

竹御所は、29歳で13歳の第4代将軍藤原頼経(幼名:三寅)に嫁ぐ。現代でも珍しい位の年上の姉さん女房だ。

しかしながら、33歳で妊娠したものの、難産の末に男児を死産し、本人も死去した。これにより源頼朝の直系子孫はいなくなり、源氏将軍も断絶した。

竹御所の訃報により、御家人達は動揺したらしい。

もし、竹御所が男子を出産していたら、鎌倉殿の系譜は別の形で発展した可能性がある。あるいは、血塗られた源氏の争いが再燃したかもしれないが。

最後に残った「清和源氏」(源頼朝系)の子孫が女性であったこと、悲しい一生を終えたことに合掌したい。  

(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?