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音楽家と歴史・社会 -10: 冨田勲の業績(アニメ音楽、シンセサイザー等)

主にクラシック音楽に係る歴史、社会等について、書いています。今回は、約半世紀にわたって、作曲、編曲、シンセサイザー等で活躍した冨田勲(1932年4月22日 - 2016年5月5日)を取り上げます。

3月5日に某アマオケでチャイコフスキーの幻想序曲を聴いた後、子供の頃に聴いたテレビ番組の音楽が頭の中で鳴るようになった。

気になってネットで調べたところ、1965年に、手塚治虫がチャイコフスキーの交響曲の旋律をピアノを弾いて、主題歌のイメージをある新鋭作曲家に示したことがわかった。冨田勲が後にインタビューで、ジャングル大帝の主題歌について語ったことだ。必死になって創作したメロディについて、なんと手塚は気に入らなかったらしいが、同曲を含む「交響詩ジャングル大帝 」は、冨田の初期の傑作となり、児童が管弦楽器に親しむ教材として広く普及した。

冨田は、東京府豊多摩郡で生まれた。祖父・父ともに医師であり、紡績会社鐘紡の嘱託医であった父の転勤により、中華民国青島、山口県防府市、中国北京等で子供時代を過ごした。1939年に帰国し、戦時中は、竹製の笛を作りモールス信号を吹いて遊んだ。愛知県の岡崎中学・岡崎高校を経て、慶應義塾高等学校、慶応大学文学部へと進学した後、全日本合唱連盟のコンクールでの作曲の部で1位を獲得し、作曲家の道を歩むこととなる。

NHKのテレビ番組「新日本紀行」、「きょうの料理」(←のだめの得意曲)、大河ドラマ「花の生涯」などのテーマ曲、そして手塚治虫原作のテレビアニメ「ジャングル大帝」、「リボンの騎士」、「どろろ」などで、売れっ子作曲家となる。

私自身も、幼いながら、冨田が作曲した唄を口ずさんでいた。特に「リボンの騎士」の主題歌は、ロマンチックで思春期の子供たちの心に訴えかけるものがあった。前川陽子の歌声が忘れられない。

世界への冨田の飛躍は、1970年の大阪万博の前年、モーグ・シンセサイザーとの出会いに始まる。高額な機械を輸入し、試行錯誤でクロード・ドビッシーの原曲を基に作り上げた楽曲集「月の光」は、クラシックでもポピュラーでもなく、国内レコード会社からは相手にされなかった。冨田は、米国RCAのニューヨーク本社に売り込み、全米での販売が開始。1975年のビルボード全米クラシカル・チャートで第2位にランキングされた。

私は、このレコードを聴かせてもらったのは、耳成小学校以来の親友のS君の家であった。左のスピーカーから右のスピーカーに音が移動していく感覚は、今でも忘れられない。

続いての「展覧会の絵」は、ビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得し、1975年度日本レコード大賞・企画賞を受賞。同様に、「火の鳥」、「惑星」も大ヒット。

1980年代以降は、宇宙等をイメージした音楽イベントにも力を入れる。ドナウ川両岸での超立体音響イベント「トミタ・サウンドクラウド」、ニューヨークのハドソン川で野中「地球讃歌」、長良川での「人間讃歌」など。ただ、私自身は全く聞いていない。

2000年以降は、尚美学園大学で後進の育成に力を入れる。

2012年には、バーチャル・シンガーの初音ミクとコラボした「イーハトーヴ交響曲」を東京で初演した。

2016年5月5日、慢性心不全のために東京都立広尾病院で逝去。

私にとっての冨田勲は、アニメ主題歌の作曲家であり、大好きなクラシック音楽をシンセサイザー向けに編曲したアーティストである。しかし、将来、彼が残した膨大な作品群が再評価されて、偉大な音楽家として歴史に名前が刻まれる可能性もあるだろう。

ジャングル大帝
リボンの騎士

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