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Torus (トーラス) by ABEJA

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Torus(トーラス)は、AIの社会実装を手がける、株式会社ABEJA(https://abejainc.com/ja/)のオウンドメディアです。「テクノロジー化する時代に、あえ… もっと読む
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#テクノロジー

【#私たちはつながっている】 3週間のリモートワークで気づいたこと

ABEJAでプロダクトデザインの仕事をしている上野真由美です。 新型コロナウイルスの感染が拡大してから、このキーワードを聞かない日はありません。 「Social distancing」(公衆衛生上、疾病の感染防止のために、人と人との距離を保つこと) ABEJAも2月からリモートワーク(在宅勤務)を推奨し始め、3月25日から原則出社禁止のアナウンスが出ました。そして先日の緊急事態宣言を受け、絶対出社禁止に切り替わりました。 以前からリモートワークが当たり前の環境だったの

「無くても死なないけどちょっと欲しいもの」を生む発想の源

世界中の休日を集め、平日が年間12日しかない「ずっと祝日カレンダー」が大きな反響を呼んでいます。 製作したのは河本健さん。ソフトウエアエンジニアとして働く一方、テクノロジーを自在に使い、日常をちょっと楽しくする「無くても死なないけどちょっと欲しい」ものを次々と生み出してきました。 その発想はどうやって生まれてくるのでしょう?元同僚のABEJAリサーチャー、藤本敬介さんを交え、発想の源を掘り下げました。 河本健(かわもと・けん)ソフトウェアエンジニア。2008年英オックス

「エンジニアリングだけでは、ユーザーが必要なものに行き着かない」 デザインと出会った僕が気づいたこと

大学院で3Dプリンタを使った義手の開発に取り組む気鋭のクリエイター、小笠原佑樹さん。 高専時代、各種コンテストで数々の実績を上げてきた彼は「デザイン」の世界と出会い、思考が大きく転換した。 「エンジニアリングだけしか知らない僕は、人に使ってもらうことを前提に考えてこなかった」 独学で得た視点を重ね、見えてきたデザインエンジニアリングの世界とは。 小笠原:これ、3Dプリンタで出力した完全一体成形のロボットハンドです。僕が所属している東大の研究室で最近手がけたものです。

目指せキッザニア!「子どもにAI開発の楽しさを届けたい」大人たちの本気を見てくれ

2019年8月。夏休みも終わりにさしかかったある日、未来のAI人材を育むイベント「AI FOR KIDS」が東京都・港区のオフィスで開かれた。AIについて知識はないけれど、ちょっと興味がある。そんな小中学生たちが集まった。 この日は、AIに学ばせるためのデータを集め、学習させて、AIをLINE botに実装するまでをひと通り体験できるプログラムが組まれた。 プログラミング経験がなくても大丈夫。キッズたちの誰もが「AIモデルの開発者」になれるのだ。 まずは、AIモデルのラ

カウンター・カルチャーの歴史と思想から見えてくる、人間中心のコンピューターの起源

社会を大きく変えた情報テクノロジーが普及した時代をジャーナリストとして40年もの間、見つめてきた人がいる。 服部桂(はっとり・かつら)さん。 私たちが普段使うパーソナル・コンピューターが生まれた時代の空気や影響を与えた人々、それらも含めたテクノロジーの進化をどうみているのかを自在に語ってもらった。自著、コラム、訳書を織り交ぜながら紹介する。 服部)私は1951年生まれで、団塊のちょっと後で戦後の若者文化の第一波を経験した世代です。戦後、社会とテクノロジーが劇的に変わる状

なぜテクノロジーを詰め込むと心が離れるのか。

8月末に一般向けの販売が始まった「LOVOT」(らぼっと)。 数十億円もの開発費を投じ、人に「かわいい」と思われることをひたすら追求して生まれた家族型ロボットだ。初期出荷分の予約は開始から3時間で埋まったという。 機能を盛り込むほど、人の気持ちが製品から離れていく。LOVOTの生みの親・林要さんは、そんな経験があったと語る。 だからLOVOTにはあえて入れなかった機能がある。 生じた余白に、人は自ら想像を込めるから、という。 僕は車が大好きで、大学を出てから自動車メ

人脈・経験・英語力ゼロで、まさかの海外進出担当。AIベンチャーの「泥臭い」リアル

私は今、ディープラーニングを手がけるベンチャー企業、ABEJAで海外事業を担当しています。 ABEJAは2017年、初めてシンガポールに海外進出したのですが、それは上司と、入社間もないヒラ社員の私が2人だけで立ち上げたものでした。この2年間で、数えきれないほどの失敗やドタバタを繰り返す一方で、大きな成果を得ることもできました。 人脈、経験、英語力、いずれもゼロの状態から、上司や仲間とどうやって市場を開拓し、事業・組織を成長させていったのか。私だからこそ伝えられる「リアル

義足づくりは人間関係をつくること。 義肢装具士・臼井二美男さんの哲学。

東京2020パラリンピックまであと1年。選手たちとともに大会に臨む臼井二美男さんは義肢装具士になって35年になる。これまで担当したのは1000人以上。義足だけではなく、義足ユーザーを中心とした陸上チーム「スタートラインTOKYO」も作り、毎週練習を続けている。ここからパラリンピアンが何人も巣立った。手掛ける義足から、再生する障がい者の姿を語ってもらった。 ハローワークの訓練校で見つけた義肢装具士の道本当に偶然だったんです。 20代後半まで僕はフリーターでフラフラする生活を