子どもが死を夢見るとき(トットちゃん感想)

心動かされたことはきちんと言語化していった方がいいなと最近思うようになってきたので感想文をやります。
窓際のトットちゃんを観ました。

ラストシーン。トットちゃんは赤ん坊を寝かしつけながら列車の外にかつて見たチンドン屋さんの幻想を見る。
それまで空想シーンは空想シーンと分かるよう演出されてきたのに、最後だけは本当に自然な感じでチンドン屋さんが現れる。この演出、これはトットちゃんの空想ではない感じがする。でも現実にはありえない。
俺はこれはトットちゃんの無自覚な死(黄泉)への願望を表現してるんだなと思った。劇中で繰り返されてきた「死」が最もトットちゃんに接近するシーンだ。トットちゃんはまだ自分で自分の気持ちに気づいていない。「死んでしまいたい、それくらいつらい」と言葉や態度で表現することもできない。だからいつもと同じ輝く瞳でそれを幻視する。
ここまで考えたとき、なぜ死のイメージがチンドン屋さんなんだろうと思った。「きっと忘れない」はずの泰明ちゃんではなく。天国で会えるはずの泰明ちゃんではなく。もっと遡って、まだトモエ学園に入学する前の、まだ何も知らなかったあの時のイメージが現れるのはなぜなのか。
ああ、トットちゃんはあのラストシーンのあの瞬間、本当に全てを失ってるんだなと思った。間違っていた。トットちゃんはあの瞬間「死んでしまいたい」と思ったんじゃない。「生まれてこなければよかった」と思ったんじゃないか。トモエ学園での日々も、泰明ちゃんとの日々もなかったことにしたい、それくらいもうこの世界が嫌だ、あの瞬間のトットちゃんはそう絶望していたんじゃないか。
そこまで徹底的に全てを奪う。それが戦争だ。戦争が始まれば、あなたの子どもが「生まれてこなければよかった」と思う瞬間が必ずやって来る。それが戦争だ。という強烈なメッセージを感じた。
そしてトットちゃんは本能的に死を拒否する。トットちゃんが死を免れた特別な理由は基本的にない。と思う。あれは「子どもなら誰もが持っている力」なんだと思う。
何もない世界でトットちゃんはそれでも自身に内在する力でもって生きていく。何もかも失ったトットちゃんを乗せた列車の前には美しい風景が広がっている。
そして映画が終わる。
すごい。本当に、とことん戦争の残酷さを描いて。一切救いがない。

という風なことを帰り道つらつらと考えました。

いや、すげーな。赤ん坊抱えた子どもにここまで幻視させるなんて。戦争ってものがいかに人の道を外れた所業なのか完璧に分からされてしまったよ。
ウクライナ、ガザでは一体何人の子どもが黄泉への憧憬を抱かされてるんだろう。
ふざけんな。
肩を組み、歌いながら行進するしかねえ。トモエ学園のみんなのように。
奴らが退くまで。


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