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風景画の創造的分裂とその後 ポール・セザンヌ 「川辺」

写真はセザンヌ
「川辺」
1895年頃
ワシントンナショナルギャラリー

この作品を風景画として成り立たせている要素は、川辺の土手と建物、木々の一部にすぎない。さらに地平線を暗示する土手は向かって右にやや下がっているため、左の建物周辺が前出し、左右の距離感はほぼ無くされている。
右の木々は、左の木々のような具体的な描写が行われず、色彩と筆触で暗示されるだけである。土手と水面が情景を暗示している程度で、空の面積は少なく画面の上から下まで同様の距離感で描かれている。そのため、画面の右の領域では、観客の前面に迫り拡がる空間と木々のイメージを感じさせる。

作品の筆触は、描写、マーキング、形の規定に分けられる。形の規定は、土手と建物、木々の一部であり、非常に少ない。大半はマーキング的な筆触で占められ、画面を意識し配置され、眼前の風景の存在を位置づける。筆触は、常に画面の強度を保つように施され、それに反する描写や図は極力廃されていく。土手が右にやや下がっていることも、画面の強度を高める。とはいえ、この作品の水面の表現は、薄く溶いた絵具で巧みに描かれ、大きな魅力となっている。また、向かって左の建物の周辺の風を含んだ描写も魅力的だが、深く描きこまれてはいない。
画面全体で見れば、縦横の動きをベースに筆触が配されている。色彩は、どちらかと言えば、何気なく選ばれた色彩が、画面の動きに合わせて配置される。描写は進まず、画面全体に生じる動きを全体的に統合させる方向に向かう。
セザンヌ自身は、常に実体を描くことに注力しているが、意識されないまま、筆触は画面の持つ性格を明らかにしつつ、強度を増すために施される。川辺の土手により、前景、中景、後景に分けられるが、中景の川辺の土手以外は、後景は空、前景は水面となり曖昧な表現にとどまる。色彩は、橙色と緑の対照で展開されるが、彩度・明度の低い緑と彩度の高い橙色と赤が画面のポイントに配され空間を統合させ、リズムを与える。

結果、風景画としては画面と情景が分裂の方向へ向かうが、画面の強度は筆触の統合によって高められ、作品は別の意味で視覚と物体の統合に向かう。その統合は意識されることはなく、筆触の連続により、形が曖昧になっていくと、形を規定するラインが施される。しかし、それ以上の描写には進まない。そのため、作品は完成しない、逆に完成させることを避けざるを得なくなるが、空間とイメージは統一され強化の方向は見失われない。

セザンヌは、マネと異なり、画面を見せるための物体は特別に描かれることはないが、そのために作品は分裂したまま、ある意味ではまとまりを欠き制作は中途となる。一方で、セザンヌは、画面に独自の空間的、感情的(感覚的といったほうが良い)なインパクト=表現を創出している。このセザンヌにおける画面の統合とインパクトが成熟するためには、キュビズムを間接的に通過し、ジャクソン・ポロックの出現を待つしかなかったのである。

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