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「すずめの戸締まり」について〜おそらく新海誠の集大成〜

監督新海誠、川村元気プロデュース、音楽RADWIMPSという座組みでの3作品目、「すずめの戸締まり」を見てきました。過去の「君の名は。」、「天気の子」という3作品を経てのこの作品について少しだけ独り言をここに記します。

ファーストインプレッション「やっと『映画』を見た」

見終わった最初の印象としては
「やっと『映画』を見た」
でした。
過去2作は特に「君の名は。」は私はRADWIMPSの劇場版ミュージックビデオと思っているくらいに歌ものと映画がマッチングしている作品だと感じていました。もちろん、それ以外の音楽の当てはめかたや心理描写と音楽の照らし合わせかたなど素晴らしいとした上で。
ただ、今回は劇中での歌ものはほぼなし、きちんと映画音楽を作ってきたなと感じました。
それはRADWIMPSの変化と今回初めて新海作品に携わる陣内一真さんのお力が大変大きいのではないかなと感じました。
RADWIMPSは過去の2作品を通じて映画音楽をどう作っていくか、新海誠監督という人がどういう人なのか、どんなものを要求しているのかという信頼関係というものがかなりハイレベルな形で共有できてきているのではないかなと感じました。(これは先日の関ジャムでの2人を見ていて感じたところでもあります。)
そこに今回陣内一真さんが参加。陣内さんは「名探偵ピカチュウ」の作曲チームに参加するなど映画音楽のプロフェッショナルな方です。

RADWIMPSと陣内一真さん、このタッグがこの座組みの映画をきちんと「映画」にすることができたのではないかなと感じました。
また、新海誠監督がかなり得意としているであろう「音ハメ」も健在で、パワーアップした映画音楽との相性は抜群。そして、これをバチッとはめてきた、タイトルを出す場面は天才的にうまいなと感じました。
これまでの2作品と比較して圧倒的に「映画作品」としての新海誠作品だなと感じていて、この作品が出てきたことによって過去作の見方も少し変わるかもなと思うほどにでした。

内容について

自然災害と話の流れについて

この座組みでの新海誠監督作品は常に映画の中に「自然災害」というものを組み込んできました。
「君の名は。」では隕石、「天気の子」では雨の降り止まない東京。
そして今回は地震。
日本人には非常に身近で多くの人の心に傷を残してきた災害の一つです。
過去2作と大きく違うなと感じたのは地震という災害がこの作品の主題にかなり近いところに配置されている点です。
「君の名は。」は男女の入れ替わり、「天気の子」は雨を止めることができる能力を持つ女の子とのラブストーリー。ですが、今回はラブストーリー要素はありつつも焦点としてはあくまでもすずめであり、大災害の被災者であると感じました。(ここら辺の描写の仕方については後ほど)
この作品では扉から出てくるみみずが倒れることによって地震が発生します。この事象は扉を閉じることで回避することができるのですが、冒頭の宮崎での発生時はみみずが倒れることを回避することはできませんでした。この地震を最初に体験してしまったことでおそらくすずめの頭の中に少なからず東日本大震災の記憶が蘇ったのではないかと思います。
心情の変化も非常にわかりやすく
ざっくりだと以下のような流れになるかと思います

この町に似つかわしくないイケメンと出会うことからの好奇心とどこかで出会ったことがあるかもという引っかかり
→怪我人をほって置けないところから巻き込まれ
→自分がやってしまったことから事態が発生しているということの罪悪感
→大量のみみずが扉から発生したことによる大震災の恐れ(恐らく震災のフラッシュバックなどもあったかも)
→草太を助けたいという感情

こじつけと感じる部分がありつつも、すずめの行動にはある程度明確な理由が付けられており、そこがノイズに感じることはなかったと思います。

それ以上に個人的に腑に落ちないポイントがあります

ダイジンとサダイジンについて

ダイジンとサダイジンは今回の作品の中で実に重要なキャラクターでみみずを抑える要石でもあります。
ダイジンは宮崎県の廃墟にあった要石が猫になったもので謂わゆる神様のような存在と思われます。
宮崎県は神話のふるさとと言われるくらい、様々な伝説が残る地域なのでそこから話がスタートするのは非常に面白いなと思いました。
ただ、猫になったダイジンがなぜこのような振る舞いをしていたのか、特に草太が要石となるまではかなり悪役の振る舞いをしているように見えました。
これはすずめに対する好意やこちらを向いてほしいという子供のような気持ちというのであればまだ納得はできますし、劇中でも神は気まぐれなどという説明がありそれ以上でも以下でもないのかなと思いました。
しかし、それ以上にサダイジンの振る舞いが個人的にはかなり不可解でした。
サダイジンは最初に登場したシーンではすずめの叔母である環に乗り移りビジュアル的にもかなり悪役として登場しました。
しかし、その後は何もなかったかのように車に乗り込み、最後のシーンではみみずを止める神様として活躍していました。
なぜ最初のシーンであそこまで悪役として描きつつ、その後のシーンに繋がっていったのかは正直しっくり来なかったです。
個人的にはここが大きなノイズとして最後まで残ってしまいました。

物語の描きかたについて

今回の作品は過去の2作と比較してかなり説明の部分が減っているなと感じました。
昨今の映画を始めとする映像コンテンツでは説明過多というのがよく言われていますが、新海誠作品も例に違わず「君の名は。」、「天気の子」では説明が多かった気がします。
今回の作品ではそこが言葉で伝えるところから描写で伝えるという形になっていた気がします。これは「言の葉の庭」の時などはどちらかといえば新海誠監督が得意としていた部分でもあったかなと思います。今回で言うとすずめが被災者であるというところを言葉で明言していない点などはかなり良かったなと思いました。
しかし、もうちょっと説明があっても良かったかなと思う点は先ほど書いたダイジンとサダイジンについてです。ここはむしろ説明がなさすぎて消化不良になってしまった気もします。また、扉についての事象はダイジンが原因と思われていますが本当にそうなのか、東京の要石を抜いたのは誰なのかなどなど正直まだ気になるところはある気もします。
こういったあれ、ここどうなってるんだっけ?と言う点がノイズとして残ってしまっている故に個人的にはハマりきらなかったと言うのが正直なところです。

新海誠監督がやりたかったこと

新海誠監督は「君の名は。」公開時に東日本大震災が監督自身に大きな影響を与えたことを語っています。震災から10年が経ち、劇中の時間軸としてもまさしく「今」を描いている作品になったのかなと思います。
「君の名は。」、「天気の子」ともに100億円以上の興行収入を記録し、名実ともにヒットメーカーとなった今、地震をテーマに据えたかなりメッセージ性の強い映画をこの座組みで制作する。
これが新海誠監督が本当に作りたかった「映画」なのかもしれないと思いました。

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