「走れメロス」を学んだ記憶
国語科授業の記憶。以前に実施した受講学生アンケートから。中学生時代の国語の授業で。
「何を覚えている?」
「『走れメロス』について本当にメロスは走ったのか、自分だったら友人を身代わりにしてまで行くのかなどについて話した」
「なぜ覚えていると思う?」
「教科書の内容についてそのように話し合ったのは初めてで、今までは疑問にも思わないようなものだったから。先生も一緒になって話し合ったのが楽しかったから」
こんな回答を寄せてくれた人がいた。
「そのように話し合ったのは初めて」の「そのように」というのは、作品の語りをうたがってみるということだろう。物語世界に浸るモードから離れて、作品に対して「本当に?」と問いかけながら読もうとする要点駆動モード。小説教材「走れメロス」は、その中身の面白さというよりも(もちろんそれもあるけれど)、「小説ってそんなふうに読んでもいいんだ!」「書いてある通りじゃないかもしれないって考えてもいいんだ!」という発見をもたらす教材として想起されている。
研究の世界では「教材としての役割は終えた」と言われることもある文学教材「走れメロス」であるが、子どもたちにとってこの教材は、走れメロスの中身について学ぶだけでなく、読むとはどういうことかを学ぶための教材になっていることが、中学生時代の国語学習の記憶からうかがえる。
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