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田近洵一『現代国語教育史研究』

 本書は、田近洵一先生による、戦後を主とする国語教育史研究・教科書研究の論考を集成した一冊である。冨山房インターナショナル刊、2013年。

 国語教育史研究は、目標論の研究とのちがいがわからなくなるときがあるくらい、目標の展開と大きなつながりをもつ。それは、教育史がそういう性格をもっているからだろう。その教育史的出来事はどのような時代背景のもとで、どのような社会や時代の要請に応えようとして生まれてきたのかを明らかにする。歴史的必然性を追究する。それは、教育目標を設定する際の手続きと表裏一体なのだ。

Ⅰ 昭和前期・国語教育の探究
Ⅱ 戦後期1 国語教育の革新
Ⅲ 戦後期2 読解指導の革新
Ⅳ 目標論・教育課程の史的展開
Ⅴ 教科書の研究

目次より

 目標研究とは何だろう。目標を研究するとは何を研究することなのか。このことを絶えず考えている。この問いに関し、田近先生の著書は私にとって道標のようである。その道標は何のためにあるかというと、国語教育目標の新しい地平を見つけるためにある。その地平に行くという目標を持ちながら田近先生の本を読む。

 たとえば田近先生は「はたらき」ということを強調される。「ことばのはたらき」、「言語の機能」。論文の中では言語機能主義とか、機能論とかいわれたりする。この用語にもいろんな意味合いがある。

 機能とは何だろうか。ことばの機能の前提には、それをはたらかせようとする人間の意志や判断がある。ことばと人間の関わり合いを自覚するのも国語学力の一つに数えることもできる。また、「読みのはたらき」として挙げられているリスト(p.248)は、よく読むと、「はたらき」という捉え方をしないことも可能な、「読むということ」そのものだったりする。

 「はたらき」という用語を使うことで田近先生は何を論じようとしたのかというところに、道標の先があるように思う。

 以下、本書において印象に残った部分を摘記しておく。まず教育史研究を行うスタンスに関わることば。

殊に、教育の歴史は、人間の歴史である。あらゆる教育的な事象の奥には、時代の波の中で精いっぱい生きた子どもがおり、また時代と関わって教育の可能性を切り開こうとしてきた教師がいる。

p.3

 昭和三十年代の国語科学習指導要領を史的に高く評価するところに田近先生の研究の特色の一つがある。

昭和三十三・三十五年度の国語科学習指導要領は、能力主義の立場から言語技能を明確にしつつ、教育課程の上では、言語生活主義的な国語科教育の理想の実現をめざしていたように思われるのである。

p.332

 態度主義批判を逆手にとった計測可能性の拡大の論は、主体性の評価という現代的課題にも結び付けることができる。

国語学力を見きわめる上で最大の問題は、いわゆる態度的なものを形成可能な能力として組み直すことができるかということであろう。

p.352

 学習指導要領の「指導事項」をほぼそのまま学習指導案に載せる事例を見ることが多くなっているように感じている。私だけかもしれないが。

国語学力を明確にしないままの指導事項の設定は、結局は作成者の主観によっていると言われてもしかたのないところだろう。指導事項を学力だと受け取っている教師もいるぐらいである。さしあたっては、昭和二十六年版の国語能力表の改訂版を作成してみてはどうだろうか。

p.339

 今回は以上です。
 この記事は2021年11月5日に別のところに書いたものです。そのつもりはなかったのですが書いているうちに書評のようになってしまいました。いま読み返すと、すでに別の研究者が論じ始めていたり問題提起されていたりしたこともあります。たとえば学習指導要領の指導事項をそのまま引き写す学習指導案が増加してきた背景にはなにがあるのかなど。私も引き続き目標論をしっかりと勉強したいと思います。

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