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映画「PLAN75」感想っていうか思考

用事で出かけたついでに、なんとなく映画が見たいなぁと思っていたので。
気まぐれ突発的にたまたま丁度やっていたのを見てきました。

⚠以下映画の内容にほんの少〜し触れています。ネタバレ踏みたくない方はブラウザバッグ推奨です。

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見た感想として。
正直どう思ったらいいんだろうか、といった感じ。

映画を見た感情的な面での(共感した故の)感想でいえば、「生きたいと思った」っていうのが一番シンプルで素直な感想。

ただ常日頃から自分の心の中で渦巻いてる感情を見ると、中々に正反対の感情すぎてなんとも言えない感覚。

皺寄せがきている身としては、たしかにPLAN75という制度は有り難いし国のためだと思う。

だけれども、一個人として。身内に75歳以上の人がいる、いつかは75歳になる身として。

「自分から死に行って欲しくない」し「実際その時になったら、きっととても怖い。恐怖を感じる」と思った。

身内や大切な人たちに関しては、映画を見る前もそのまま考えは変わらずだけど、自分自身に関してはいつも「苦しい、生きづらい、死にたい。」「自分が死ぬのはどうでもいい、早く苦しみから解放されたい」と考えているから、今回映画を見て共情したせいかどうかわからないけど「死ぬって怖いよな」と思ってしまった。

現実は辛い。社会人には向かないし、心も体も弱くボロボロ。

自分の本当にやりたいことも自分の意志で出来ない弱虫が、「死」という選択以外にどうこの苦しみから逃れたらいいのか分からない。(本当は他の選択肢があると知りながらも、理解していながらも、それでも今までの経験や言葉が足枷となり身動きを取れなくさせる。)

映画の最初、登場人物たちの普通の、何気ない日常シーンがある。
普通に働いて、家に帰り、ご飯を食べ、爪を切り……働き、人と接し、家族と連絡を取り……。

その日常に差し込まれる「死」という制度。最後は誰に看取られることもなく、ただただ事務的に死んでいく。

そこにある「孤独」という恐怖。
何よりも、死ぬということよりも、そこが怖いと思った。

誰にも必要とされず、要らないと言われ。そうして「迷惑になるのなら」と死んでいく人たちの心を考えると、どうしようもない気持ちになる。
そこに救いを見出す人もいれば、恐れを感じ拒む人もいるだろう。

自分はどうだろうか。

死なない、死ねない理由ならある。幾らでも。
それでも現実の苦しさは変わらない。一向になにひとつ救われやしない。誰も助けてなんてくれない。
だから、ずっと「死にたい」と願ってしまう。
なのに映画を見て、主人公たちに共感をして、「生きたい」と思った。

現実は、なにも変わらないのに。

だから、どう思ったらいいのか、どう考えたらいいのか、分からなくなった。
生きるにしても、これから先、苦しいのは自分なのに。

自分はどう生きたいのだろう。どう死にたいのだろう。

PLAN75は高齢化社会の問題を描いた映画だ。ただ今回私はその問題について考えるというよりは、当たり前に、ただ当たり前に。

みんな生きているんだな、と感じた。

その命を要らないと、迷惑になっていると、簡単に言い捨てることは出来ない。
しかし、実際に大きく深刻な問題となっている。
そこの折衷案なんて到底思いつかないけれど。

自分はどうしたいのか。どうありたいのか。
どう、生きたいのか。

今一度考えてみようと思った。

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