第51講BUMP OF CHICKEN「宇宙飛行士への手紙」考察〜多用される対比表現に現れる作者の価値観を掘り下げる〜
朝起きたら、BUMP OF CHICKENの「宇宙飛行士への手紙」という曲が頭の中で流れていました。
で、久しぶりに聞いてみて、改めて面白い歌詞だなあと思いました。
ー踵が2つ煉瓦の道 雨と晴れの隙間で歌った 匂いもカラーで思い出せる 今が未来だった時のことー
1番のBメロの部分で<どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知ることは 言葉で伝えても伝わったのは言葉だけ>と出てきます。
相手(恐らくこの歌では親友や恋人)の思い出は、いくら言葉で聞いても頭で再現するのはできないという意味だと考えられます。
どんなに話のうまい友達が過去の面白いエピソードや哀しいエピソードを語ってくれても、本人が経験した細部を伝得ることはできないということを言っています。
その意味を踏まえて歌い出しの歌詞を見てみます。
<踵が2つ>とは自分1人ということ。
そして、<今が未来だった>というフレーズで、冒頭が自分の過去を思い出しているのだとわかります。
そんな自分の思い出は<匂いもカラーで思い出せる>。
五感のなかでも、匂いは最も相手に伝わりづらい感覚だと思います。
相手に伝わらない「匂い」まで、自分の思い出なら細かく思い出せると言いたいのだと思います。
ーできるだけ離れないでいたいと願うのは 出会う前の君に 僕は絶対出会えないからー
<出会う前の君に僕は絶対出会えない>っていうのは、前の歌詞で言っていた、どんなに思い出を共有したとしても、言葉で伝わる範囲でしか相手には伝わらないということの比喩。
一緒にその場の景色を共有したいという事を言いたいのだと思います。
で、2番のAメロの歌詞。
ーひっくり返した砂時計 同じ砂が刻む違う2分ー
ここのフレーズが、僕の1番のお気に入りです。
砂時計をひっくり返して、下に溜まっていく砂と上から減っていく砂。
これを<同じ砂が刻む違う2分>と表現しています。
これは、何かをすることで得られた経験(下に溜まる砂)と、その時間にもし別のことを行っていたら得られた可能性(減っていく砂)を例えたものだと思います。
当たり前のことだけれど、どんなに無駄に見えることでもそれに費やした時間分の価値はある。
そんなことが、次のフレーズに続きます。
ートリケラトプスに触りたい 双子座でのんびり地球がみたいー
<トリケラトプスに触りたい>とは、実際に地面に立たなければできない願いです。
一方で<双子座でのんびり地球がみたい>というのは、地球の外から俯瞰しなければできない願い。
つまり、両者は絶対に同時に満たせない願望の比喩になっています。
これが、前の砂時計のフレーズを(比喩でぼかしていますが)具体化した部分なのだと思います。
少し飛ばして(そうしないと著作権的に、、、なので)2コーラス目のサビの繰り返しの部分です。
ーできるだけ離れないでいたいと願うのは 出会う前の傷を 僕にそっと見せてくれたからー
1番で、どんな思い出も言葉では決して伝えられないと歌っています。
しかし、<傷をそっと見せ>るという、物理的な過去の記憶を相手に見せることで伝わる事はある。
言葉でなく、物質的な方法で感じ取れることがあるということを言いたいのだと思います。
言語は自分の思いを伝えるための記号でしかなく、それで全てが伝わるものじゃないということや、東浩紀さんが最近よく言っている「物質的な記憶を残す大切さ」みたいなことを、この歌詞をみていると思い出します。
聞くたびにいろいろな解釈ができて、個人的にお気に入りの一曲です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?