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ヤクブスウォビィク 日本でのサッカー人生

はじめに

2019シーズンのベガルタ仙台を支えたゴールキーパー、ヤクブスウォビィク。仙台に移籍してきてからの半年間で感じたことをポーランドメディアのWeszloのインタビューで語っていました。今回のnoteではそのインタビューを翻訳し、お伝えしたいと思います。

元記事はこちらから↑

なお等note内の画像は元記事のものを引用しています。また翻訳の際、一度英語を挟んでから翻訳をしているため、本旨を完璧に翻訳したわけではありません。ご了承の上読んで頂ければ幸いです。

またインタビュアーの JAKUB BIAŁEK さんは以前にもベガルタ仙台の記事を書いておられたのでこちらも併せてご紹介させていただきます。

さて本題に入っていきます。

インタビュー訳

ヤクブスウォビィク。ベガルタ仙台で半年間プレーし、彼は日本の文化に対して興味津々のようだ。日本では彼からサインを貰うためにファン達が200mほどの列をなす。良い試合をした後は感謝を込めてチョコをくれることもあるそうだ。

台風が来た時どう対処したのか。なぜ携帯を落としてもあまり心配しないのか。なぜコーチやチームメイトはミスをあまり責めないのか。

桜咲く国でのサッカー人生を彼は楽しんでいる。

TV番組で振舞ったお寿司はどうでしたか?

あるインタビューで寿司が好きだと言ったら、後からその場を用意してくれたんだ。収録前に作り方を勉強しに行き、後日収録でチームメイトに振る舞ったよ。美味しいと言ってくれた。本当かどうかはわからないけどね笑 放送の後、サポーターもすごく上手だったと言ってくれた。日本に来てすぐ寿司を握れたのはすごくいい経験だったね。レバンテなどでプレーしてたモザンビーク人のチームメイト、シマオマテとはよく一緒に買い物に行く。そこでファンと会うことがあるけれど彼らは本当に良くしてくれる。スターってわけではないけど注目はされるし、そこにしっかりリスペクトが込められてる。

ベガルタ仙台はファンとの結びつきが強いクラブだと思う。ある時ホームでとても大事な試合を落とし、順位も下げてしまった。後日クラブハウスにサポーターがやって来た。ポーランドならどうなるか知っている。しかし彼は残留してくれと必死に懇願してきたんだ。ベガルタこそが彼らの全てなのだと思う。2011年に起きた災害を経て、クラブはファンや地域にとってとても重要な存在となった。

契約する前にYouTubeでその災害の映像を見たんだ。またベガルタ仙台がその後どう立ち上がってきたのかの映画も見た。妻もとても驚いてたよ。

移籍を決断するのは簡単ではなかった。なぜなら元々いたクラブに満足してたし、移籍すればそこでの成功を無駄にしてしまうことになるから。移籍を決断するために色々な人に相談した。日本でプレーするカミンスキー、マチェイ・クラコビャック(今治)、ポーランドでのプレー経験がある日本人の赤星貴文や村山拓哉などなど。

マチェイは2008年からの知り合いだ。ポーランドとは全く異なる文化だけど誰もが称賛していたよ。カミンスキーからはJリーグがとてもレベルの高いリーグであることを教えてもらった。実際に Instat (ロシア発祥のスポーツ分析サービス)で試合を見た。速いという印象を持ったね。災害がまた起こる可能性もあったけど、それについては考えないことにしたよ。

しかし何度か地震は経験しましたね?

初めは驚いたけど、2回目はそうでもなかった。一番大変だったのは台風。ニュースで千葉県の家がまるでトランプのように吹き飛ぶのを見て衝撃的だった。携帯の警報で2〜3時間後にこれが宮城に来ることを知った。どうすればいいか本当にわからなかった。スマホの警報は避難しろと言っていたけど隣人はみんな家にいるようだったし。幸い台風は直撃することなく、木が倒れたくらいだった。けれど一晩眠る事ができなかったよ。お店も影響を受けていて、商品が少なくなっていた。ここ60年で一番の台風だったらしい。家族もいて、どうすればいいかわからなかった。

地震には対処できますか?

非常用のリュックを準備しておかないといけないね。水、バッテリー、食料、ブランケットを入れておくんだ。地震が実際に起きたら皿や電灯が落ちてくる場合のためにテーブルの下に潜る。家族のポーランド語の通訳をしてくれている方は9年前、皿が頭に落ちてきて大変だったそうだ。

今のクラブにもその災害の面影はありますか?

そう思うよ。16年間ベガルタでプレーする選手に聞いても、それについて話すのが難しいようだった。ただ仙台の街自体は大きな影響はもう見られない。

街が海から数キロメートル離れたところにあるのはなぜでしょう?

海岸の近くには田んぼがあって、津波の被害を最小限にするために日本人が配慮しているんだ。クラブは毎年被害があった地域を訪れている。現に移籍して最初の練習試合は被害があった石巻で行われたんだ。その時に黙祷も行ったよ。黙祷はとても重要な意味を持っているんだ。

Jリーグの環境はとても良くて、ポーランドでは過小評価されているように感じるし、自分はこの6か月で確実に成長することが出来た。好きなことが出来てるし、遥か遠くの国で異文化を学び、成長するチャンスがある。アウェイのスタジアムへは飛行機で行くこともあって、試合の前に選手のために必要な物が全て用意されているんだ。何か欲しいものがあっても持ってきてくれる。選手達がとてもリスペクトされていると感じるよ。

あなたはベルギーへ移籍したシュミットダニエルと入れ替わる形で仙台に加入しました。Jリーグとヨーロッパ間の移籍は頻繁に起こっているようで、あなたもまたヨーロッパへ移籍することがあるかもしれませんね?

ここ2年で日本からヨーロッパへ移籍するケースは増えてきている。サッカー選手であれば誰だって最高のリーグで腕試ししてみたいと思うはず。同様に自分も海外で自分を試してみたかったんだ。夏にエージェントに電話して移籍の進捗を聞いたことがあった。しばらくかかるとその時は言われた。けれどクラブはすぐにオファーしてくれて、ターゲットの一番手として熱心に誘ってもらった。

日本では誰かがいなくなると、すぐその後釜となる選手を獲得してファンを安心させるんだ。2019シーズン終了後には渡邉晋監督の退任が決まった。2001年から選手として、コーチとして、そして監督としてクラブを支えた人物だ。クラブはそのことを発表すると、それと同時に私自身が来年もこのクラブにいることを発表した。1.5年契約だったから元々決まってはいたけれど。シマオに関しても来年もプレーするということを監督の退任報道の後に発表し、ファンを安心させたんだ。

あなたの家族は日本での生活をどう思ますか?

初めは日本で暮らしていくことに対してあまり
良くは思ってくれていなかったんだ。それでも自分たちは家族で、一人でこの離れた土地で暮らすことは考えらなかった。娘も友達と離れることになってしまった。来年からは日本語の基礎を学び日本人の友達を作ってもらうために娘を幼稚園に通わせようと思っているよ。

日本では出来るだけ多くの場所を訪れてみたい。この国は美しく、景観が素晴らしい。実はベガルタは2018年の12月の終わりまで天皇杯を戦っていた影響でオフ期間が少し短かった。そのためクラブは埋め合わせとして例年より3〜4日ほどオフを増やしたんだ。そのオフを利用して東京や京都、大阪、奈良などを訪れたよ。

通訳なしで生活できるようにはしたいとは思ってる。ある時お店で店員さんに場所を聞こうとしたんだけど、意思疎通が図れなくて5人がかりで対応してもらったんだ。結局通訳さんに電話して解決はしたけれど。でもサービスはとても良かった。重要な話し合いの時にはポーランド語の通訳さんが対応してくれるから安心だよ。

やりすぎなくらい気にかけてくれるということですね。

違う日には妻が家に帰ってからショッピングモールに携帯を忘れたと言ってきて、急いで取りに行ったことがあった。サービスカウンターでは携帯を落としたことを証明する書類も無いのにも関わらず、届けられていたそれを渡してくれたんだ。「試合に勝ったらお渡ししますね!」ってジョークまで言われたよ笑

ポーランドのビャウィストクで映画を観に行った時に友達がレジに財布を忘れてしまったことがあった。後から取りに行ったけどやはり無かったよ。それに比べると日本人はとても親切だね。

仙台を歩いてる時に声をかけられますか?

人口は100万人くらいだけど、もう知られてるようで歩いてると注目を集めることが多い。ただ一人が声をかけてくるまで誰も声をかけてくれないんだ。日本人はプライバシーを尊重してくれる。練習終わりにはファンは列を作ってサインや写真や握手を求めてくる。1時間くらいかかることもあって、仙台に来て最初の練習の時は200mくらいの列が出来てた。驚いたのは日本人がツーショットを撮ろうとしないこと。一人で立って彼らが写真を撮るんだ。

プレゼントなどを貰うことはありますか?

フルーツやお菓子はよく貰うし、刺繍や感謝が込められたアルバムを貰うこともある。アウェイから帰ってきた時に空港でファンが待っていてくれてチョコレートをくれることもある。素晴らしいよ。すごく親切だ。

一緒にプレーしてる選手にあなたがポーランドにいた時にファンから電話がかかってきた話をしたら驚かれますか?

そう思う。文化が違うし。今はそんなことないけど、その時以来深夜に知らない番号からかかってきたら出ないようにしてる。友人が誰かに番号を教えたりしてたら本当にショックだね。

サッカー選手も試合後にファンにお辞儀をするなど、敬意を表することを大切にしていますね?

そうだね。お辞儀は応援に対して感謝するための大切なジェスチャー。ウォームアップにピッチに出る時もお辞儀をしている。

それと室内に入るときに靴を脱ぐのも最初は驚いたよ。郊外の森の中に練習場があるけど、そこのロッカールームは床がコンクリートで薄いカーペットが敷いてあるだけ。なのにみんな靴を脱いでる。足が本当に冷たいんだ。ただ日本人がそうしているからそれに従う必要があるし、そのような習慣には必死で適応しようとしているよ。

日本人の性格も理解しようと努めてる。物静かな人が多い印象だね。ポーランドでは試合後にチームメイトとランチに行くことが多かったけど、仙台ではそれがなくてみんながそれぞれ帰っていく。ただとにかく言語の面で苦労することが一番多いかな。日本人は英語をあまり話せないんだ。チームメイトの一人は英語で何か必死で伝えようとしてくれるけどね。

自分も日本語を学んでる最中なんだ。ただ敬語についてはすごく難しくて、目上、目下、同僚で使う言葉が変わってくるんだよ。頭がめちゃくちゃになるね。アメリカ人と日本人の夫婦のご近所さんがいて、彼らとはよくバーベキューに行く。その時に外国人が沢山来るんだけど、あるバングラデシュ人が敬語とかは気にせず、対等な立場で楽しもうって言ってくれた。日本人同士でそれをやったら大変なことになるけどね笑 

ただ外国人の自分が日本語を喋ろうと努力すると日本人はみんなすごく褒めてくれる。取材に来た記者の方に「オハヨウゴザイマス」と日本語で言うと、彼らは「上手」と言ってくれたよ。ポーランドで外国人がポーランド語のミスをしたら笑われるだろうに、日本ではそんなことは一切ないんだ。

ピッチ上でのコミュニケーションはどうですか?

ポーランド語で考えた後に英語で考え、そして日本語で考えなくてはいけないから大変ではあるけど、簡単な単語はすぐに出てくる。ただDFには簡単な英語は分かるようにしといてほしいとは言っていて、例えば瞬間的に" right "と言ったときに彼らには瞬時に右に動いてほしい。GKコーチも英語を勉強してくれてる。けれどこの前彼はグッドモーニングが出てこなくてサンキューって言ってたよ笑 雰囲気はとても良いね。

ピッチ上では他にも驚いたことがある。日本のサッカーはポーランドに比べて最終ラインが低くて、ラインの裏をカバーする動きをする必要があまりないんだ。にも関わらず彼らはもう少しポジションを高くしてくれと要求してくるんだ。そんな上げる必要ある?と聞いたよ。

他にも指示を受けることがあるけど、それは自分が経験してきたものとは違うということがしばしばある。もっとラインを高く出来るはずだと思っているのに、彼らはラインを下げる。コーチとはそのことについては話した。もちろん何年もやってきたチームメイト達とは違い自分は途中加入だから、自分の経験からアドバイスすべきでないことは分かってる。ただシーズンが終盤になるにつれて、ラインの調整は良くなってきたよ。そういえば、とある試合で突然極端にラインが上がって失点したこともあった。

「ライン上げろって言ったから!」
「4m高くと言っただけでプレーの原則を変える必要はないよ!」

彼らは自分の言うことをすごく理解してくれようとするんだ。ただGKコーチからは「クバ、彼らにサポートしてもらうためにもあまり強く言い過ぎないでくれ。」と言われたよ。ポーランドでは普通の口調なんだけどね。

チームメイトがあなたに強く言うことはありまますか?

文化的な違いから直接的に強く言われることはないね。ただ練習している時にある選手と意見が食い違って少し口論になることはあったよ。ポーランドでは普通の意見を言うときでも声を荒げることがよくある。自分はただ彼らと意見を共有したいだけなんだ。

チーム良くしたいけれど、翻ってそれが無礼になることもあるということですか?

日本人を注意深く観察して、それを真似しようとはしている。アドバイスをくれる人をいるしね。彼らはとにかく感情を表に出さないんだ。初めの頃、ある試合が終わって理解できないことがあった。それはカップ戦で、去年ベガルタはその大会で準優勝している。その準々決勝で1-1に追いついたその直後、相手に勝ち越し弾を許してしまい敗戦したんだ。試合後、自分や他の外国人選手は苛立ちを隠せなかった。重要な試合を落としたわけだからね。

けれど監督はみんなの前に立ち、落ち着いた声でリーグ戦に切り替えてまた頑張ろうと言ったんだ。彼は2、3度手を叩きその場を締めた。ポーランドとはアプローチが本当に違うと思う。あっちではコーチが物を投げて怒りを露わにすることすらあったよ。

それと素直な人が多いと思う。ある試合では監督が試合前に相手キーパーの視界に太陽が入るから積極的にシュートを打っていこうと指示を出した。するとある選手は日が隠れたにも関わらずシュートを撃ち続けていたんだ。ハーフタイムには日は落ちてるからそんな無闇に撃つ必要はないと言われていたよ。

それとポーランド的な視点で見たとき、178cmのGK、関憲太郎がいることは不思議なことかもしれませんね。あなたはJ1の中でも背が高い方なんですか?

彼は長い期間ベガルタ仙台でプレーしてきてサポーターからとてもリスペクトされている。日本人GKは背はさほど高くないけれど動きがダイナミックで、足元でボールを扱う技術も高い。チームのGKはとてもレベルが高くて、GKチームの雰囲気もとても良い。GKコーチも自分の限界の一つ上に挑む姿勢やボールにアグレッシブに飛び込む姿勢を評価してくれているよ。彼も技術があって、トレーニングの時に彼は左足でも右足でも同じようなボールを蹴るんだ。また試合を想定した練習は特にためになることが多くて、細かい部分に気づかされる。

前所属クラブのŚląsk Wrocław (以下シロンスク)であなたはブレイクしましたね?

その前に所属していたクラブとは違って、シロンスクでは自分のことを信用してくれていた。2年間クラブで多くの試合に出場し、活躍することが出来たね。

ただシロンスクでは大きな結果を得ることができませんでしたね。

難しい試合が多くて、チャンピオンシップでプレーすることは出来なかった。けれどいい環境でプレー出来ていたと思う。勝てなかった時のプレッシャーは大きいし、それが選手間の結束力を高める。人生をかけて闘っている。昨シーズンはもったいない試合が多かったよ。

シロンスクがあるヴロツワフはあなたの第二の故郷ですよね?

2年間過ごしたけれどとても良い街だったし、自分の地位が確立されていて、クラブからも信用されていたから移籍を決断するのは難しかった。ただ快適な環境から出て、新たなことを始めるのはとても大切なことだと思う。今もチームの結果は見てるし、チャンピオンシップで優勝出来ればと思う。

シロンスクやポーランドリーグの選手がJリーグからオファーを受けたら、価値があるものかどうか、あなたにも相談に来るでしょうね。

価値はあると思うよ。カミンスキーは6年間ジュビロ磐田でプレーし、大阪で彼と彼の家族と会った時でさえ声をかけられるほどの選手になった。カミンスキーにはとても感謝していて、彼が自分をベガルタに来ようと思わせてくれたんだ。

昨年の夏、この移籍には本当に価値があって、今やらなくてはならないことなのかと思うことがあったんだ。その時はまだヨーロッパにこだわりを持っていたよ。フランスからのオファーもあって、そこでの生活を思い描いたこともあった。ただ自分には多くのファンがいる満員のスタジアムでプレーしたいという思いもあって日本行きを決めたよ。サポーターが力強く歌うんだ。500人しかいないスタジアムでプレーするなんて楽しくないだろ?
とにかく快適な環境から出て新しいことに挑戦することを自分は勧めるよ。

日本の話をここまで沢山してくれました。日本をすぐに離れそうにはありませんね。

とにかく今シーズンは闘うよ。地震や台風があり、そして愛する人たちがいる国からは遠いけれど、自分がやりたいことを離れた国でできるなんてことは滅多にない。いつどの瞬間も楽しむべきということを教えてくれている。未来に何が起こるかなんて誰もわからない。6ヶ月ごとに移籍市場は開かれるし、長い目で見ればどうなるかはわからない。オファーが来るかもしれないし、その時は家族の意見も尊重するよ。

ただ出来るだけ長くはここに居たいと思うし、たくさんの良い思い出を作りたいね。Jacek Walkiewicz (ポーランドの心理学者)がある話をしていたんだ。それはある人がエジプトに行ってピラミッドを見た時に写真の方が大きく見えたと言った話だった。人が実際に見たものは、見てない人が思うほど大きくはないということだね。

自分は日本での生活、トレーニングだけでなく家族との時間も満喫したい。人生は一つの大きな冒険のようなものだと思う。多くの外国人のサッカー選手は適応に苦しむけど、自分はここで生活したい。そしていつかは新たな土地に家を建てたいね。たとえそれがどんなに遠い場所であっても。

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