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「適者生存」がそもそもなってない腐れ切ったファンもどきに一喜一憂を嗜む資格なぞ洟(ハナ)からない。~ここの処方箋はまず長谷川滋利「適者生存」。

まあそれでも本来の生存パターンとしては、「いろんなことに
うんざりしながらも、「応援」します」という行動パターンに
殉じられるのが本質的なサポーターであって、野球のファン
とはそれよりも「士道不覚悟」な一面が強いから、こうした
妄言が平気で書けるんだろうな、と。
 といふことで、今回は主にこちらのコラムを晒し挙げると。

選手の成長のためだと理解したとしても、目先の勝敗に
一喜一憂したいのもまたファン心理だ。

武田亮一「V目指さぬ戦い」北海道新聞夕刊2022年9月14日掲載

まあそろそろ「3すくみの一年」も終盤戦となり、徐々に
北広島へ去って行くチームを忘却の方向へ持って行きながら
徐々にBリーグのレバンガ北海道を楽しむ体制へ持って行くのと、
今年は高校野球ネタは完全に封印して、逆にいくつか読んでた
野球本のノート写経からいくつかネタを卸すのはアリだなと。

じゃ、今日の一曲は「チキチキバンバン」から「パリピ孔明」
繋がりのEDで、こういうアレンジにでもなるのか、と唸った
フィロのスことフィロソフィーのダンスの「気分上々↑↑」から。

ようやく始めた新聞のSCRAP作業で本質的にムカ
ついた話題が飛び込んで来たので、これらをまとめて煮こんで
一本に仕立ててみよう、というあたり(なのでまずとっぱじめの
1誌目の夕刊までは切り出し完了)。

で、ひとまず持って来るのはやっぱりメスチル野郎なぞよりも
先に「心を整える」をしっかりやってた元メジャーリーガー
(しかも「オオタニサン」の先達でエンジェルスにもいた人、か)
のこの本からまず一節を持って来る。

自分の能力を見極めつつ、しかもこの言葉には確かな自信も
漲(みなぎ)っている。スマートな選手の話を聞くのは、
いつまで経っても飽きることはない。

長谷川滋利「適者生存 メジャーへの挑戦」(幻冬舎文庫版)
(2003)解説・生島淳「ハセガワ」から何を読み取るのか?p232

で、まず癇に触る「シャク」の部分としましては。

「優勝なんか一切、目指しません」。新庄監督が昨秋、就任
記者会見で述べた言葉がずっと耳に残った。

武田亮一「V目指さぬ戦い」北海道新聞夕刊2022年9月14日掲載

ここを本来BIGBOSSとはせずに「新庄監督」としている時点で
「ああ、士道不覚悟なんだな」は即座に読み取れるわけですが。

「また観に行きたい」というゲームをしてくれるか、といふ雰囲気
作りも空回りしていたような、栗山末期の野球に随所で見られた
「雰囲気悪いし、勝てないし。態度も悪い。」
を自ら覆すことも改善することもなしに、一喜一憂を嗜む資格は
そもそもありえない「士道不覚悟」。

向こうで「オオタニサン」やダルビッシュの試合を見に行く
noterさんからいまさらのように「札幌ドームを本拠地として
使わなくなるなんて初耳でした」なんて話も伝わっては来たのですが、
それだけに「札幌ドーム最後の年」で使えない外人続きを含め
制限のかかっている条件の中でSHINJO BIG BOSS(ビッグボス)が
如何に「田尾時代の東北楽天1年目のような下地作りをしているか」、
理解出来ない人間がそもそも一喜一憂を嗜める「贅沢」であり
「極致」に辿り着けるべくもなく。

ま、即効性があるのは今年も「逆神」と化している(7月の
連勝をしている時期にしゃしゃった解説で出てきて連敗の引き金を
引く)「逆神」ガンちゃんを永久追放するのが効き目ありそうなん
ですが、来年もペナペナとした解説にいたら向こう数年アレを
起用してるHBCとHTBの野球中継は絶対に見ないと思う。

ともあれベテラン近藤などを残しつつセンターラインはしっかり
固めて、自前で戦力を揃える下準備は出来てきた印象。1点差ゲーム
も多くなってきたし、ネームヴァリューだけの清宮(や引退した
ハンケチ)よりは若手の万波、上川畑、それに既定打席数と格闘
してる松本剛など期待出来そうな選手の名前も少しは見られてきた。
そうした「良かった探し」をきっちり見極める仕切り直しの1年目で
何でこんな洟(ハナ)垂れたガキの妄言が堂々と誌面を飾っているのかは
ホントに疑問符でしかない。ので(危ないJR北海道の千切れそうな
吊り橋を渡って外出したくもならないでしょう、といふ絶望がなお
ある)、多分来年は本質的にまたプロ野球を見なくなるような感じが
プンプンするのですがね。

 ここに立つことだけが夢じゃない。これからここで生活していくんだ、
という気持ちの方が強かった。不思議と感動はなく、熱くこみ上げて
来るものもなかった。

長谷川滋利「適者生存 メジャーへの挑戦」(幻冬舎文庫版)
(2003)p78

で、「士道不覚悟」な、自分の「負け犬」ぶりが身に沁みてない
書き手に対しては、こいつを振りかぶってぶつけてみるあたりが
「至極妥当」ではあるか。

要は、先を見越しながら手を打っていくことが必要なのだ。
無理に勝負せず、フォアボールで歩かせても構わない。

長谷川滋利「適者生存 メジャーへの挑戦」(幻冬舎文庫版)
(2003)p137

「適者生存」がそもそもなってない腐れ切ったファンもどきに
一喜一憂を嗜む資格なぞ洟(ハナ)からない、でした。