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「この人を悼む」シリーズ・2回目は納谷六朗氏。(2014年11月17日没)

「この人を悼む」シリーズ・2回目は納谷六朗氏。
(2014年11月17日没)

さて本題は(2014年)11月17日に82歳で亡くなられた
納谷六朗氏の話でございます。
 で、来歴よりも先にやっておいた調べ事とは、喪主の
納谷僚介氏が率いているマウスプロモーションについての
エピソードとその系譜がある程度判明したので、まずは
その系列図から描いてみようかと。
まあ結局マウスプロモーションの大元を辿るとNHK俳優
養成所の出身者が形成した劇団ないしグループの流れを
汲んでいる模様。なのでここでは多くのNHK俳優養成所
出身者が中心となって様々な現在大御所扱いされている
声優も在籍したとされる河の会を中心軸に取って以下の
系列図を作成しました。

といふことで納谷六朗氏を語る時に使う系譜図に関しては
愛川欽也氏の時のデータをより後ろ詳しく言及する形に
伸ばします。

(参考:松田咲實「声優白書」2000,オークラ出版,内p85
江口勝義・加藤進平「声優に関連するプロダクション・
劇団の系譜」)
河の会(劇団三十人会,1960-1975頃)
  │(主なかつての在籍者は富山敬、雨森雅司、高橋和枝、
  │肝付兼太、青野武、納谷六朗、向井真理子、
  │加藤みどりなど)
  ├←りんどう(-1964.09解散,ここからの流れの別働隊
  │はあり、竜の会を経て1965年に事務所を作った
  │若本則昭(則夫)の師匠でもあった黒沢良はこの流れ)
  ├→劇団河(1975-,兼本新吾や矢田稔がかつて所属し、
  │愛川欽也と同年の2015年に没した白川澄子も在籍)
  ├→愛川企画室(愛川欽也の個人事務所)
  └→独立 江崎プロダクション(1974.04-2000)
     │(有限会社として設立-1995株式会社化)
     │[江崎加子男]
     ├←元は同人組織として創立(1969.04-1974)
     ├(附属養成所)江崎プロダクション付属養成所
     └→組織変更 マウスプロモーション
       │(株式会社マウスプロモーション,2000-)
       │[江崎加子男→納谷光枝(小野光枝)→
       │納谷僚介→長谷川たか子]]
       ├(附属養成所)マウスプロモーション
       │付属俳優養成所
       └録音制作部が分離独立し兄弟会社に 
        音響制作・アフレコ・録音スタジオ
        スタジオマウス(株式会社STUDIO MAUSU,
        2005.03-)[納谷僚介]

こと納谷六朗氏を活かす為の環境作りを調える目的で
江崎加子男氏をはじめとするスタッフが尽力してきたのが
今のマウスプロモーションの礎ですのでね。

*また「声優白書」内の座談会において披露された
江崎加子男氏の話によれば、河の会解散の後に富山敬が
江崎氏を頼って江崎プロに、との話があったが「うちには
納谷六朗がいるからチャンスは少ないよ」と断って、
後に富山敬は青二プロ、バオバブと渡り亡くなった、
といふエピソードもある模様(それだけ江崎プロ時代から
納谷六朗を大事にするプロダクションであったのは確か)。

その環境作りにはピカチュウな◆大谷育江[マウス]
(江崎プロ時代から在籍)もその調い方に感心していたし、
納谷六朗が亡くなられた前後に「声優アワード」獲って
フリーになった◆細谷佳正が何の積み重ねをしないまでも
3年は平気に声優活動やれるほどのメソッドは積めた
らしい(そしてそれ以上は積んでいなかったので案の定
体調崩して一旦休業したわけですが)。

なお株式会社マウスプロモーションHPのアーカイブ検索
を検証したところによると。
HPは2001年から作成されているようですが、
その頃はまだ小野光枝名義で代表取締役専務の肩書。


2003年頃には江崎加子男が代表取締役会長に退き
「代表取締役社長 小野 光枝」の名があります。
 そして、納谷光枝を名乗ったのはアーカイブで特定
しづらいところですが、「東北地方太平洋沖地震」
に対する2011年3月には納谷光枝名義でコメントを
発している模様。

 で、この納谷光枝(小野光枝)さんが納谷六朗の妻
であり、スタジオマウスの副社長だった納谷僚介氏の母
だったわけですが、淡路恵子さんが亡くなったのと同じ
2014年1月11日に他界されまして、2014年の4月から
マウスプロモーションの社長は納谷六朗氏の長男でもある
納谷僚介氏が継がれている、とのこと。
(そしてリリーフ作業が一段落したので納谷僚介氏は
スタジオマウスに戻って新たな社長を立てたと)

現在納谷六朗の子息で一時はマウスプロモーションの
代表取締役をリリーフしたスタジオマウスの納谷僚介氏に
支えられて絶妙なポジショニングが調えられているのは
やはり◆大塚明夫[マウス]なのでしょう。
 でなければ納谷僚介氏が音響監督を務めた『吸血鬼
すぐ死ぬ(吸死)』で大塚明夫がああも輝くような
シチュエーションにはならないのかなと。

まあそんなゴタゴタの外科手術があったので、結構
いろんな声優がマウス時代になって入れ替わったのは事実。

江崎プロ時代に独立し個人事務所を立ち上げ、ナレー
ション業務のみ別のプロダクションに在籍している
オフィスアネモネの井上喜久子の系譜や、マウス
プロモーションに在籍していたマネージャー出身で
音響制作も手がける槇潤が独立し、石田彰や小岩井ことり
などがついて行った2011年設立のピアレスガーベラなどが
存在しますが、そのあたりはまた機会がありましたら。

のここは絶好の機会なので、折角ですからここも系譜図に
落とし込んでおきましょうか。

江崎プロダクション(1974.04-2000)[江崎加子男]
├←元は同人組織として創立(1969.04-1974)
├→井上喜久子がフリーに(1999.10-2009)
│  └→井上喜久子が実姉と共に個人事務所設立 
│    オフィスアネモネ(株式会社オフィスアネモネ)
│    (2009.08-)[関本弥生]
└→組織変更 マウスプロモーション(2000-)
   │(株式会社マウスプロモーション)
   │[江崎加子男→納谷光枝(小野光枝)→
   │納谷僚介→長谷川たか子]
   └→マネージャーの槇潤がが独立 
     ピアレスガーベラ(2011.10-)[槇潤]
    (PEARLESS GERBERA,株式会社ピアレスガーベラ)

[オフィスアネモネ]
◆井上喜久子◆井上ほの花◆野川さくら
◆田中理恵(2019.03-)
(リトリート)→[2019.03からオフィスアネモネ]
(その前はドラマティック・デパートメント)
[ピアレスガーベラ](PEARLESS GERBERA)
◆石田彰◆小岩井ことり◆福沙奈恵

一応再確認しましたが、井上喜久子が個人事務所を
立ち上げたのは2009(平成21)年。でも、江崎時代の
1999年9月末に江崎プロを離れて10年近くフリーで
活動していたと。

では以前叩き台のベースにしていた1997年5月時点
での「早取りデータ(江崎プロダクション)」といふ
史料(昔はパソコンのデータで持ってたけど、もう
紙媒体にプリントアウトしたものしか遺ってない)
はあるのですが、それは別件で起こすとして、
来歴の紹介、といふ本筋を改めて纏め直そうかと。

一番下が妹である以外全員男の七人兄弟で、
六男に生まれるが、数字が付いているのは悟朗と
六朗だけ、で、当初は子供の頃はアナウンサー志望
だったと述べていたのは昔の納谷悟朗のインタビュー
による弁。
(大沼弘幸構成「演声人語」2000,ソニー・マガジンズ)

で、納谷悟朗が立ち上げて数年で潰した「稲の会」の
「坊つちゃん」公演の時に坊つちゃん役で突っ立って
いる人が欲しくて誘ったのが運のツキで、以降芝居魂に
火が付き、役者として残った話がまず知られる。

で、納谷悟朗は「吹き替え」の世界にも突入して
いったから当然のようにアンダーテイカーとして
納谷六朗も狩り出されて初期の頃から共演も多かった、
と(後年のアニメでは原版の流失で全編録り直しの
アフレコが行われた復刻版の『太陽の子エステバン』
シリーズ(NHK BS2オンエア版)において納谷悟朗が
ドクトル(ドクトル博士,フェルナンド=ラゲール)役、
納谷六朗がスペイン軍司令官の副官であるガスパル役
で共演している)。

 納谷六朗は稲の会解散後劇団現代劇場を経て、
以前述べた通り「河の会」に合流、江崎プロダク
ションに在籍し、2000年7月20日からは所属声優が
組織変更により異動したマウスプロモーションに
身を置くかたわら、江崎プロダクション付属養成所や
マウスプロモーション付属俳優養成所において
亡くなる近くまで絶えず後進指導を務めたことでも
知られる(たまたま大雪で養成所の募集が遅れた時
に応募し、しっかりお勉強しようと思って入った
大谷育江が養成所に入るとそこには「谷育子さんや
納谷六朗さんや北村弘一さんが先生としていらして」
との談もある(山寺宏一著,木村久里、島田みさ
構成「山寺宏一のだから声優やめられない」
2000,主婦の友社,p236)。)

基本的には年齢不詳ながらも繊維質の声の幅を
持つ人で繊細にして穏やかな役柄をソツなく
演じ分けることが出来る人。なもので『幽遊白書』
では少年時代を石田彰が演じたのに対して青年役の
仙水忍役を演じたことでも知られる。

50代から60代の当時においても仙水や『聖闘士
星矢』水瓶座のカミュを演じたことで若手や若年層
のファンにも良く知られた声優の一人。

『クレヨンしんちゃん』では強面の「組長先生」
こと園長先生を長く演じる傍ら、時折モノローグ
めいた格調高く場を繊細に引き締めるナレーション
でもたびたび起用され、本郷みつる監督が『クレ
しん』から降板した後においても本郷監督作品の
『キョロちゃん』でマツゲール博士役と共に
狂言回しのナレーションをさねよしいさ子と
共に務めていたのは記憶に新しい(とはいえ
釘宮初期の当たり役メンタマルちゃんの話を
振ってもほとんど知らない人が多くなってきた
以上、多くの知る人にとっては「懐かしい」、
が妥当になるんだろうなあ)。

飄々とした昼行燈ながらも実はソツなく人生を
まとめるオヤジとしてはやっぱり『エウレカ
セブン』の青野武に比肩する役割に殉じて
しまったか、とも思える『エウレカセブンAO』
のクリストフ・ブラン役(フレア・ブランの父)
を最近の作品では挙げざるを得ないのかと。

一応父親役の代表例としては他に『めぞん一刻』
のこずえの父『ミンキーモモ(山モモとも称される
旧モモ)』のパパなどがあり、相方役の代表例と
してはポスト『巨人の星』的な作られ方を悲劇的
により持ってかれたが故に世代によっては
トラウマになる場合も多い『侍ジャイアンツ』に
おいて番場蛮役が富山敬だったのに対して先輩で
捕手や代打に徹した八幡太郎平(はちまんたろへい)
役を納谷六朗が演じている。

一方サッカーアニメではやはり監督役が
多いようで『キャプテン翼(3,音楽に
エイベックスが絡んでた時代のキャプテン翼。
初期では河合義雄、ゲームの一部では西前忠久、
フジ制作のセカンドシリーズでは中嶋聡彦が
演じていた)』では日向小次郎などを育てた
明和の監督でアンダー世代の日本代表監督に
なる吉良(耕三)監督を演じ、セリエAに
挑戦する日向にまた謎特訓(滝行とか)を
命じていたような。

ちなみに迷作日韓共同制作アニメの黒歴史
として知られる『キックオフ2002』だと
マンチーニ監督。その他『ヒカルの碁』では
桑原本因坊『探偵少年カゲマン』のミスターX
『アルスラーン戦記(初)』のカーラーン
(カセットブック版ではキシュワード)
OVA『ジャイアントロボ』の黄信
『シャーマニックプリンセス』では長老を演じた。

『シドニアの騎士』にも出演していた2014年、
3月には第8回声優アワードにおいてキートン
山田と共に功労賞を受賞。同じマウス所属
(当時)の細谷佳正(助演男優賞)と共に
登壇したことでいくつかの写真やコメントが
ネット等にも遺されている。

2014年の11月に予定されていたラジオもどき
第19回『新釈 遠野物語』を体調不良で出演
見合わせすることがHPの「お知らせ」で
告知され、告知から約2週間後の2014年
11月17日、82歳で亡くなったことが報じられた。

『クレヨンしんちゃん』の園長先生の本名は
高倉文太。

『クレヨンしんちゃん』の園長先生の本名は
そういえば高倉文太だったのでしたっけね。
(高倉健と菅原文太からの命名とされる)
まさか高倉健の訃報と同時期に流される状況に
なるとは思っていなかったのでしょうが、
(→結局2014年の流れでは綺麗に並んで高倉健が
11月10日没、納谷六朗氏が11月17日没、菅原文太
が11月28日没、と)
それでも何処かで「高倉健と同じ日になって
参っちゃったよ」とか言って天国で冗談飛ばし
てるくらい飄々とした、青野武よろしく先輩後輩
分け隔てなく慕われ、かつ演じた役柄の幅の広さ
では有数にしてしかも随一と言えるはしばしに
慈愛の心を感じられる声優さんでした。
謹んで御冥福をお祈り致します。

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