教育や学校に関して感銘を受けた金言集

学びの選択肢について

 学校では皆と一緒に決まったことをしなければならず、それができない子は「やる気がない」と見なされてしまう。本人の気持ちに寄り添えば伸びていくのに、現状の学校教育では、学校も子どももお互いに学びの機会を潰してしまっている。
 これを解決するためには、学校の選択肢を増やすしかない。オンラインを活用した「通学」範囲の拡張や、フリースクールやホームスクールを偏見なく受け入れる体制など、多様な受け皿を設けることが、不登校問題の解決につながるだろう。
 他にも、例えば始業式の挨拶で学校長が「1日も学校に来なくても卒業できます」や、「あなたたちには学校に通う権利とともに、学校を休む権利がある」ということを子どもたちに伝え、正しい情報提供をしてほしい。
 ただ、学校だけで子どもを抱え込もうとすると大変なため、民間のフリースクールや支援団体と連携して、補完しあいながら子どもを見守る社会に変わっていくと、不登校で孤立を感じる子どもが減っていくだろう。
 魅力的な学校に共通することは、「学びの選択肢がたくさんある」ことです。好きな場所で、好きなことを学ぶことができたり、学ぶ内容を選べたり、さらには学びの設計図である「時間割」を先生と一緒につくることができる学校こそが、子どもたちにとって本当によい学校ではないでしょうか。

生徒に必要なもの・教師の役割について

部活動に関して、外部団体を新たに作って、平日・休日すべての部活動の指導や運営に関わる業務を委託することを検討している。教員のうち部活動指導をしたい人は、外部団体の職員を兼業して、部活指導に派遣されてくる、という仕組み。
これにより、部活動指導を希望しない職員はやらなくても済み、教員以外に方も指導に来られる。教員もお金をもらって指導を行うことができ、勤務校が移動になっても、引き続き前の学校で指導を続けることが可能になる。
日本の学校と教師は大きな役割と業務を担い過ぎている。これを大胆に仕分けし、絞り込む。具体的には、学習指導要領が求める学習量と時間を減らしたり、給食や休み時間の見守り、部活動指導などは別のスタッフに任せたりするべきだ。
その分、AI等では代替しにくい思考力、創造力を高める授業への改善や、ICTを活用した学びの充実など、教師は“本業”にもっと力と時間を使えるようにするべきだ。
最重要課題は、あれもこれも教師に担わせる「欲張りな学校」をやめることである。
『人を大切にする力』『自分の考えを持つ力』『自分を表現する力』『チャレンジする力』。この4つの力を小学校の最初の一年間、まっさらな心の根っこにしっかりと植え付けることが、社会で『生きて働く力』につながります。この『見えない学力』を子供が自分から身につけるためには、とにかく子供の心の声を聞かせてもらえる大人の自分が変わることです。
『あなたはどう思う?』や、『私はこう思うけど、あなたは?』と問いかけることを大事にした対話をしてみたらどうでしょう。
日本の先生たちは、勤勉さやそもそもの優秀さがあるし、当然子どもたちが大好きです。そこに自由さと柔軟さ、失敗しても「やっちゃったね」と軽く笑い飛ばすゆるさがあると飛躍すると思います。
最近は、保護者も含めて先生たちを取り巻く環境に寛容さが欠けているといった話をよく耳にします。先生ご自身が自分のことを大切にできないと、子どもたちのことも大切にできません。
そこは子どもを取り巻く周囲の大人たちが、環境を含めて考えないといけないことだと思っています。
知識を教えるのはすべてオンライン授業でいいのでは?一番上手な先生の教材をみんなが見る。その上で先生は教室内でのファシリテーターやモデレーター的に疑問点や探究したい点を深め、補足する。理解していない子をフォローしたり、もっと進みたい子に違う情報を与えるなど。あるいは、あるべきは先生には得意な教科に集中してもらう。新卒の小学校の先生が全教科教えるというシステムに無理がある。先生が一番好きで得意な教科を教えるのでなければ、子どもたちに伝わらない。1教科に3年間じっくり取り組んでから次の教科も教える。そうして、一人の先生が教えるのはトータル3教科で十分です。オンラインとの併用なら可能だと思います。
 「先生がいないと生徒は学べない」というのは先生の過信。先生は役割が変わっていく。学ぶための手段や方法を教え、本当にわからなくて困ったときに支援してあげることが大事。最初から必要な知識を与えてしまったら、生徒は自分で学ぼうとは思わない。
 生徒に必要なものは、知識ではなく、知識をどう使うかである。つまり、知識の意味であり、その知識は本当に使えるものなのかどうかという熟慮、本当に役に立つものはなにかという想像力のほうが必要となる。
 そのため、教師はむやみに教えようとしないことである。教師の役割は熟慮するよう仕向けることである。生徒は自分で考えるものなのだ。
「失敗しない達人」から「新たに生み出せる人」へ
 子どもに夢を持つことを強制するのは逆効果。大人でも変わることはあるし、途中で変わっても、本当にやりたいと思ったら、やれる方法はある。
 「将来、何になりたい?」にとらわれず、「どんな大人になりたいか」という視点から会話することが大事。そして、夢は大きくなくていい。身近なことから、「こうなったらいいな」をどんどん言葉にし、実現したら「夢が叶った!」と言っていると、夢はやりたいと思ったらいつかは実現するものというイメージを持てるようになる。
 これからの先生の役割は「学習の伴走」。教材などのコンテンツを一緒に見て理解したり、取りこぼしそうなところをサポートしたり、本来達成したい目的や知りたいことを追及するための支援が求められるのではないか。
メタ認知と並んで、主体性のある学びを実現するために重要だと言われているのが、自己調整学習です。自己調整学習は、学び手が学びに取り組む際に、”それが自分にとってどれほど大変なことか”、”自分ができるようにするにはどうしたらよいか”を自分で考えて、実際に学習を展開していく中で自分の学習の出来具合をチェック・モニタリングして、学びの目標の達成にむけて改善を施していくという一連の流れを意味しています。

学校・教育のあり方

同じであることを前提にした従来の価値観を、決して否定するつもりはありません。日本の教育がうまくいっているところもたくさんあると思うので。
その上で、一人ひとりの多様性に対して、その子が一番活きる独特の支援の形を用意するということがもっとあっていい。従来の価値観にとらわれないというのが肝になってくると思います。
違いを知るということが、学校のすごく大きな意義だと思います。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に学校に来て、ずっと黒板を見ているという当たり前の光景が、実はすごくイレギュラーなことを子どもたちに課しているということに気づきたいですよね。
そうすると、それに応えようと頑張っている子どもたちの姿が見えてきます。あーすごいな、この子たちよく頑張ってるなって。
この考え方が全ての教育活動の根底に流れていると解釈しています。
https://www.sensei-no-gakkou.com/article/no0024/
一番大事なのは、答えのない世界において、自分のやりたいこと、好きなことを白いキャンバスに描けるように、羅針盤を描けるように、自分の軸を見つけさせてあげることです。
 今までの教育は、偉人が行ってきたことから知を学ぶ形だった。しかし、これからは考えて作る側に立つことがこれから必要になる。試行錯誤し、頭を使いながら、人間らしい創造性を育むことが大事。
 これまでは一斉授業で教えるのが一般的だった。これからの世の中を主体的に生きる人間を育てるためにも、『子どもは教えないと学べない』という学習観から離脱し、自ら学ぶ在り方へと移行するときだと考える。
 今は何もかもを学校にやらせすぎです。学校がやるべきことは、子どもたちの学びの機会を奪わないことです。子どもたちが学びたいと思ったときに、学べるような環境を用意することだけが唯一、学校に課せられた使命です。絶望しそうになったときに学びを諦めない、そんな子どもたちに育つ場所が学校なのだと思います。
 学校とは、気づきの機会を創出する場となるべきです。教え込むだけではなく、生徒たちに考えさせ、感じさせ、自分の心と対話する機会を作りながら自律的な学習を支援することが重要です。
 知ることが大切だと教えること、学ぶ理由を教えること、学んだ先に何があるかを教えることも、教育の一環。「努力すれば夢はかなう」ではなく、子どもに努力する環境を作るのが大事

学校の課題

5つのティーチャーズ・クライシス
①保護者や世間に教師、学校に対しての不信感が広がれば、現場は仕事がやりづらくなる。
②学校での仕事が増えたり教師のストレスが高まったりすると、過労やうつ病などで「教師の命が失われる」というクライシスが強まる。
③そうした状況下では、教師の質は良くならず、教員人気も下がり、「教師が足りない」「教育の質が危ない」というクライシスが増大する。
④教師不足によって採用と育成の両面で問題が深刻化したり、忙しさに追われたりして教師が考えることをしなくなると、「教師が学びを放棄する」というクライシスの傾向も助長する。
⑤学ばない教師が増えると、教育の質は落ちる。授業の質が落ち、不祥事や学級崩壊などの問題が起きると「教師が信頼されない」というクライシスが増幅される。
五つのクライシスが互いに増幅し合い、さらなる悪循環を生み出している。
教師の多忙はコロナ前からも深刻な問題だった。近年の学習指導要領の改訂で教える内容は増え続け、授業とその準備にも時間がかかる。ICTの導入が遅くて採点や事務作業の効率化が進んでいない学校も多い。同時に、部活動をはじめ、授業以外の負担も重い。
コロナ禍による休校から再開した後は授業時間を増やした学校もあったし、先生たちの業務に消毒、清掃、検温チェックなどが加わった学校も多くある。
教職員の仕事は「スクラップ&ビルド」でなく、「ビルド&ビルド」でコロナ前から今日まできているのだ。
 現在、教師の多忙化は社会的な問題となっており、それは月残業時間や授業や授業研究にかける時間の割合からわかる。学校は、教員だけでなく地域の人々やサポーターなどの外部人材も連携していくことがこれからの学校生活では必要になる。
「こうした教員間の情報交換は、任意参加のグループなので、夜間や休憩時間など、勤務時間外の活動です。本来は勤務時間内にできるほうがいいことですし、その方が、教員側も講習を身近に感じられると思う。ここが今のネックです」

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