見出し画像

2020/7/21(うたの日366)

まだ割れちゃいけない皿が割れたときの侍女Bのアドリブが良かった/森下裕隆
(2018/11/20「割」)

じわじわくる…学芸会の景として、たぶんストレートに詠んでいる通りのことが起こったんだろうけれど、なんかすごくいいなと思う。上の句の状況説明…特に三句目の「割れたときの」など、自分だとなんとかして定型に押し込めたくなってしまうのだけど、ここは六音のままで「割れちゃいけない皿が割れたときの」としたときの、なんとなく素っぽい説明…さっき起こったことをありのまま説明している感が出ていて良い気がする。
この劇を見ていた主体はなぜ「割れちゃいけない皿」だと知っていて「侍女Bのアドリブ」を見抜いたのか。その劇が原作のあるもので、主体はストーリーを知っていたからともとも考えたのだけど、どう見ても割れちゃいけないシチュエーションで、侍女B以外の役が呆然としていたからと読んだ方が面白い気がした。劇が上手くいったとしておらず「アドリブが良かった」としているあたり、たぶんそれに気が付いたのは主体のみじゃなかったのかもと思う。
また、なぜ主体はただの「侍女」役ではなく「侍女B」だったと知っているのかも気になるところで、もしかするとこの「侍女B」の家族とか「侍女B」に想いを寄せている誰かなのかもしれない。…と、考えると、劇のワンシーンを切り取った歌からさらにドラマが生まれていて、面白い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?