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2020/3/19(うたの日366)

屑籠に届かなかった空き缶は正しいゴミの夢を見ている/高木一由(2017/3/12「屑」)

そういえば空き缶は何処からゴミになるのだろう。中身の最後の一滴がなくなった時点か、ひとの手が離れた時点か、それともゴミ箱に入った時点なのか。それを決めるのは、空き缶を最後に手に持っているのはずなのだけど、この歌はゴミにもゴミの価値観があるところが面白い。ゴミになった時点で、ゴミ箱に入らないものは「正し」くないようである。ゴミになってしまったらゴミ箱を目指さなければならない、宿命のような描かれ方をしている。
このまま空き缶の価値観として読んでみても楽しいのだけど、やはり人間に投影させて、考えて読んでしまう。自分を消費させて目標を実現できなかったとき、自分に価値があるのか、とかはよく考えてしまう。ゴミ、とはさすがに思ったら終わりな感があるけれど、それでも「正しいゴミ」というのは非常に腑に落ちる感覚だと思う。「正しいゴミ」は淋しいのにどこかポジティブな表現で、また、自己評価の低いぎりぎりを支えてる感覚も想像できる。なので、正しいゴミであればそれでも明るくいられたのだろうけれど、歌のなかの空き缶は、正しいゴミになれなかった。「夢を見ている」には眠っているような雰囲気と、そうありたかったという意味の両方で読めるけれども、どちらで読んでもせつなさがある。




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