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2020/8/21(うたの日366)

おとうとが生まれた夜の長男は自分が泥になる夢を見る/袴田朱夏
(2019/10/21「泥」)

それまで長男で、人としてのかたちを持っていたはずなのに「泥」になる。…どうにも不穏なイメージを持ってしまうのだけど、泥は捏ねられて食器にも変わるし、蓮は泥の中から咲く花である。長男が、次男が生まれたことによって自分の立場が再形成されるだろうことを、夢で予感しているのかと思った。…あまり歳の離れていない状態で下の子が生まれると、しっかりしていたはずの子も「赤ちゃん返り」をして、急に甘えてくるという話を聞いたことがある。そんな、それまでの立場の変化を受け入れられる前の状態を「泥」としているのかと思った。
また、歌全体がどことなく予言のような調子を帯びているのも気になった。「見た」ではなくて「見る」。どうしてそういう夢を見ることが解るのか。また、主体は父親か…だとしたらなぜ、夢を見ることを知っているのか。「長男」が見た夢を主体に話したのかとも考えたけれど、個人的には主体は「長男」の父であり、父もまた「長男」であり、そんな夢をかつて見たことがあった。だから、自分の息子もそんな夢を見るだろうと予感しているのだと読んだ。その一族の長男だけがする通過儀礼のような。…おとうとからすると、兄とは最初から兄であるけれど、兄からすればそれまでの時代がある。当たり前のことではあるのだが、どことなく神話の出来事のようにも聞こえる奥深い歌だと思う。

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