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2020/8/26(うたの日366)

ほんとうは真面目じゃないと言うひとの藝術大学みたいな寝顔/鳥尾鮭介
(2018/8/18「寝顔」)

すごい比喩だと思う。「芸術みたいな寝顔」なら解るような気がする。しかしそうではなく「藝術大学みたいな寝顔」は解りそうで全然わからなくて、それゆえに惹かれてしまう。一応「藝術大学」を検索してみたが、やはりそういうことではなくて主体が持つ「藝術大学」のイメージとして読めば良いのだろう。
「藝術大学」は芸術の研究をする場所、また芸術以前の技術を近づけて芸術に昇華させる場所、ということかと思う。「芸術」の線引きって難しくて、素人の作品と美術館に飾っている展示物の違いも知識がなければよく解らないし、芸大に通っている学生の作品と「芸術」の違いはもっと区別がつかないんじゃないかと思う。…この「ほんとうは真面目じゃないと言うひと」にも近いニュアンスがある気がする。そのひとは「ほんとうは真面目じゃない」と云っているが主体には真面目に見えているのだと読んだ。また、「ほんとうは真面目じゃない」と云っているがそう云うことで真面目に見えてしまうことも含めての「真面目じゃない」かもしれず、でもその違いも主体は解らないのだろう。「寝顔」はそのひとの素のままの表情が出ているはずなのだけれど、それでも区別がつかない。むしろ「本物」と「偽物」とはっきり区別できるようなものではないのかもしれない。「あなた」や「きみ」ではなく「ひと」であることはまだ主体とは距離のある関係なのだろう。もっと読みが広がりそうな歌だけれども、寝顔を見たことで主体はそのひとをもっと知りたくなったのだと個人的には読みたい。

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