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2020/2/22(うたの日366)

手のなかに異国料理の熱をまだ分けあっている夜の散策/高野 蒔 

(2019/3/11「自由詠」)

「異国料理の熱」というフレーズが良い。これによって様々な他のイメージを喚起させて、全体を詩的にしていると思う。
「散策」という言葉選びから海外に旅行中のシチューエーションとも読めるのだけど、自分としては、日本国内のレストランで食事をした帰路として読んだ。ピザとかナンとかシェアする要素の強い食べものだと思う。食べものを分け合うと親密な気分になり、お互いを理解する感覚とも通じる。その食事の後もその高揚した気分が残っている。それが「異国料理の熱」というフレーズと響き合っている。
なんとなく舞台設定を日本として読んだけれども、具体的な食べ物の種類を書かず「異国料理」としたことで、どの国のどの人種でも共通の感覚だと伝えることができている。また、細かいけれど「まだ分け合っている」という部分も良いなと思う。この歌のなかに「きみ」や「ぼく」は出てこないのだけれど、男女が食事のあとに手を繋いでいるシチュエーションとして読んだので…勿論、もっと大勢の男女を想像することもできる、鴨川あたりを夜に歩いている学生たちの群像劇の一場面のような。

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