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2020/9/2(うたの日366)

殺したき人などおらずピーマンの種をしづかにくり抜いてゐる/からすまぁ
(2020/8/15「平和」)

「殺したき人などおらず」をどう捉えるかで、読みがいくつかできそうな気がする。「殺したき人」は本当にいないのだろうか。自分は一読したときには、きっと「殺したき人」はいるんだろうな…と読んでいた。正解はこの歌にはたぶんなくて、読み手のバイアスで変わるような気がするのだけど、自分としては本当に「殺したき人」はいないものとして読む方が、面白い気がした。
と、いうのもその方が下の句の動作が響く気がする。ピーマンは種をくり抜くと空っぽの形状をしている。憎しみは、はじめから憎しみとして存在するのが難しい感情である気がする。誰かへの興味や愛情、それらがなければ発生しない感情だと思う。種はそれらの根源、憎しみが生じる前の愛情までをもあらわしているようにも読めた。憎しみが発生しない代わりに、格別の愛情も誰かに抱くことはない日々…台所での作業はそういう日々が連続していることを思わせる。種をくり抜いているのは自分自身で、誰も憎まない代わりに誰も愛さないことを自ら選択しているようだ。そう考えると、この短歌が「平和」部屋の短歌であることがより響いてくる。「しづかに」は守りたいひとが誰もいない静けさでもあるのだと思う。

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