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2020/6/30(うたの日366)
ふたりきりふたりきりでも夏の夜をぼくらはまるい輪になって歩く/雀來豆
(2016/5/24「歩」)
一読して、なんだか可愛い印象を受けつつ、でも様々な読みのできる歌だと思う。「ふたりきり」なのに「まるい輪」になれる…自分の足りない部分を、相手が全部持っているような気持ちに、互いになっているのかと読んだ。実際、相手が自分を完全に補完してくれるということは、生きている限りあり得ないのだけれども、「夏の夜」という場面ではそう思わせてくれるのかな、と。「夏の夜」と「まるい輪」からは花火を連想させるし、その帰り道かもしれない。また、花火は細かい火の集合体であり、それが寄せ集まって円になっている。同じように感じている「ふたり」がこの夏の夜に、たくさんいるようにも感じた。
ここからは、深読みになってしまうのだけど、ふたりでつくる輪としてなんとなく、ウロボロスの蛇のようなイメージもあり、永遠にふたりきりの世界でいられるような雰囲気も加味させているのかな、とも思ったりもした。
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