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2020/2/18(うたの日366)

わたくしはbananaの後ろのほうのnaだ あの奔放を受け止めるnaだ/すみまろ

(2019/8/3「バナナ」)

一読で、とにかくすごい引力のある歌だと思う。自分がbananaの「na」ってどういうことやねん、と思ってしまうのだけれど「na」と云っているから「na」なのだろう。この歌の眼目はバナナの中にはnaが二つあり、奔放な方と受け止める方がある、ということだと思う。bananaが英字なのは英語で発音すると「バナナ」ではなく「バナーナ」という感じになるからかもしれない。だから、前のnaが奔放な方で後ろの方のnaが受け止める方のna、なのだろう。…非常に多様な読みができて、男女関係の比喩のようにも読めるけれども、自分としては、双子として読むのが面白いかな、と思った。
一卵性双生児で見た目もそっくりだけれど、中身は全然ちがっていて、片方のやらかしたあれこれを代わりに怒られている、また代わりに褒められたりもする。「わたくし」は消極的で、彼女の方の人生も一緒に受け止めて、良いことも悪いことの二倍の人生なのかな、と思ったりした。バナナは月に似ているし、ひとつの物象のなかに多くの要素がある、ということかもしれない。…全体がひとつの詩であり、頭に残るだけではなくまださらに多様な読みができると思う。

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