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2020/3/24(うたの日366)

終電の外国人の会話からtomorrowだけを聴きとっている/えんどうけいこ

(2017/5/10「自由詠」)


スラングが入っているか早口だかで「tomorrow」という言葉しか聞き取れない、という状況描写のみで感情は描かれていないけれど、それでも暗闇なかの一条の明るさみたいなものが感じられる。イメージ同士を底で繋げるのが上手い。
自分は一読して「終電」という言葉から素直に日本でのこと(大勢の日本人がいるなかで数人の外国人がいる状況)だと考えたのだけど、何度か反芻すると、外国でのこと(自分以外は外国人)として読んだ方が面白いなと思った。その方が孤立感を強く感じられるし、言葉がほとんど解らない状況でも「tomorrow」だけ聴きとれる、シチュエーションにぐっとくる。夜のもっとも深い時間の地下を走っている電車で、という状況が生きつづけることのメタファーのように読み取れる。生きていて、ほとんど何も解らないけれど、それでも明日が来ることだけは確実に解る、というような。
読んでいて寺山修司の「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」という短歌が浮かんだ。「かなし」はひらいていて「悲し」だけでなく「愛し」の意味もあると思う。どんな状況でも確実に来る「明日」はそういう存在なのだろう。

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