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2020/2/23(うたの日366)

人間の頃は自分が嫌だった 夜のガソリンスタンドにいる/白黒つけたいカフェオーレ

(2015/6/13「ゾンビ」)


「ゾンビ」部屋に出された短歌なので、ゾンビになってしまった景として読めばいいのかもしれないが、別に「ゾンビ」として解釈しなくても心に残る短歌だと思う。小説や映画の導入部分のような印象があり、その向こうに物語があることを感じさせる。
上の句と、ガソリンスタンドという場面設定になぜか腑に落ちる。ガソリンスタンドは新たな場所へ向かう経由地的な雰囲気がある。ただ、それは人間だったら向かえた目的地であって、ゾンビになってしまえばもう何処にもいくことができない。しかし、それが完全にマイナスなことかというと、そういうわけでもない気がする。人間である限り、絶えず変化を強いられ、成長しないと駄目なような圧力がある。ゾンビになってしまえば、そのような枠組みから解き放たれて自由になれる。主体は、少し落ちこぼれだったのかな、とも思った。ガソリンスタンドの店員には無数の何処かに向かう人々を送り出す役割があり、それと通底するところがあるかもしれない。また、夜のガソリンスタンドには静謐な港のようだけれど、そこには水でなくガソリンが何トンも蓄えられていて、逆転した海のようである。その印象が、人間であって全然人間でないゾンビの存在と上手く合わさっていると思う。
と、ここまで一応ゾンビであることを前提として解釈したのだけれど、別にゾンビでなくとも成り立つ解釈の歌だと改めて実感した。「人間の頃」を小さな枠組みにとらわれて考えていた頃の自分、というように考えてここではない何処か別の場所へ向かう物語としても読むことができるだろう。

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