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2020/1/20(うたの日366)

人混みで誰かの夢を踏むだろうそれも許され生きるのだろう/モダルクタ

(2018/10/8「許」)

「人混み」としかされていないが、なぜか東京がイメージできる。人口の過密な交差点や電車の中のような場所の。
「だろう」と仮定で書かれているのは、まだ踏んだことはないが実感として間違いはない、という、生まれたときからずっと都市で暮らしている主体がイメージできた。
人混みで誰かの夢を踏んでなぜ許されるのか。それは、踏んだ自分も誰かしら夢を踏まれている、そして夢を踏まれたひとも誰かの夢を踏んでいるからなのだろう。ここではそれが日常茶飯事で、いちいち怒っていられない。足を踏んだことも足を踏まれたことも、いつまでも覚えていないのと同じように。
また、それほど多くの夢がひとつの場所に密集しているからなのだとも云える。夢を叶えるために立ちはだかるライバルの多さも、歌のなかから読み取れる。その繰り返される「だろう」の中には叶わないで終わるかもしれない、夢へのあきらめも混じっていると思う。少ない言葉なのにも関わらず、実感としてすっと腑に落ちる歌。

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